橘いずみ再考③。
30代の彼女は叫ばなくなった。もう叫ぶ必要がなくなったのだろう。自分に揺るがない芯ができれば、もはや人を傷つけ自分を傷つける必要もない。個人差はあれ20代のうちにああいうコトはやっておくべきだな、と思う。その時はソレこそ七転八倒で苦悩の日々だけど、もがき苦しんで過ごした日々というのは、あとで必ず輝いてくると思う。20代の日の貴重な人生経験。
かつて彼女は自分のために唄ってたように思う。時に自分を鼓舞し、時に自分を蔑み。たしかに須藤プロデューサーなどのまわりの人たちは、彼女の歌を求めている人たちが必ずいるだろう、という思いがあったと思うが、我々は勝手に彼女の姿に突き動かされ共感していただけなのだ。
彼女が人に向けて歌い出したのはごく最近のコトなのでは?と思っている。自分のために唄っていた彼女が、時が過ぎ自分のかつての歌たちに、彼女自身教えられたり新たな視点で考えるコトがあったのカモしれない。そーいう意味ではこーいった日記も同様だが、ソレを感じるコトで自分の歌を欲している人たちに心が向くようになったのカモしれない。やっとかつての自分の歌を振りかえられるようになったのだと思う。
最近の彼女のサイトに書いてある日記を見ると、自分が好きだとか幸せそうな言葉が飛び交っている。自分を大事にしてきた結果なんだろうな、彼女の友人知人らも自分のコトを大切にしているんだろうな、そういう人たちが彼女のまわりに集まっているんだろうな、と感じ取れる。自分にしっかり栄養を与えているから、しっかりした花が咲き、見る人を喜ばせる。結局は人間力で、生命力、その人が放つパワーが人を魅きつけるのだ。
音楽に真摯に向き合い惜しみない愛を注いだ橘いずみは、今その音楽から愛されている。コレこそ無償の愛、なのではないだろうか。