過去があるから今がある。石(意思)が積み重なってココにいる。
ムダなコトは1つもない。未来とは「今」の連続である。

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【ネタバレあり】続『シン・エヴァンゲリオン劇場版』を観た。~『エヴァ』と『惡の華』と『マトリックス』とその他もろもろ~

つづき。エヴァの手引きとしていろんな作品を引き合いに出していく。

現在ビッグコミックスペリオールで連載中の押見修造先生の『血の轍』という漫画がある。他誌ではあるけど押見先生は『惡の華』という押見版エヴァみたいな(だとワタクシは思ってるのだけど)漫画も描いてた。 

booklive.jp惡の華』のあらすじをざっと書く。コミック『惡の華』1巻表紙は、この漫画に出てくるヒロインキャラである仲村佐和という女のコなんだけど、見た目はエヴァのレイに似ている。ある日、なんやかんやあって(笑)この漫画の主人公である春日ととある事件を起こしてしまう。ソレから2人は離れ離れになってしまい、仲村さんは消息不明になってしまう。主人公である春日は仲村さんの消息も分からないまま、学生生活を死んだように過ごしていた。あの日の事件で彼の中の時計は止まったままだったのだ。春日は仲村さんに自分から離れた理由を聞きたい。そもそも今も生きているのだろうか。死んだようにただ日々を重ねてる中、彼は常盤さんという女のコと出会う。常盤さんはどこか仲村さんに風貌が似てる。春日は彼女に仲村さんを重ねながら、彼女と付き合いを深めていく。ある時、仲村さんの消息が分かった。常盤さんとともに春日は仲村さんに会いに行くコトになる。彼の中の止まった時計の針を進めるために、、。

仲村さんというのは春日の中で「過去」の存在になったというコトなんだよ。ソレは常盤さんと付き合いを深めて行く中で、常盤さんという存在によって春日のココロがほぐされていったというコトなんだけど、彼にとって仲村さん=過去に囚われたままでは先に進めないという思いがだんだん大きくなっていったとも思えるんだな。だから常盤さんも仲村さんに会いに行くワケだ。彼が区切りをつけようとしてるワケだから。決して過去に戻ろう、後戻りしようとするワケじゃなく、前に進むために必要だからというね。非常に理解があるワケなんだけども、で、春日は仲村さんと再会して、お互いのココロが通じ合ってたあの頃の気持ちを確認しながら、春日と仲村さんがやっと歩き出せるようになった、ていうまぁそんな内容なんだけども、、て長い!笑

て書きながらも思うんだけど、今回のシンエヴァとだいぶカブってくると思うんだよ。ゲンドウもそうだけど過去に囚われたままじゃない?ユイと離れてから。シンジもそうだよね。世界を変えてしまった罪というかね、すべて自分の責任だと十字架を背負って。まーだいたいのキャラがなんらかの過去に対する悔いみたいなモノがある。シンジはじょじょに再生してくワケなんだけど、ゲンドウはしがみついたまま。だからシンジは第3村に残ってもいいとは言われるけど、シンジはシンジで、彼にしかできない「ゲンドウと話す」てコトをしなければならない。闘いじゃないんだね。今までいかにこの親子が会話不足、コミュニケーション不足だったか、てコトだよ。コレは息子であるシンジにしかできない。

シンジの語りかけにより、かたくなだったゲンドウのココロも解きほぐされて、自分の今までの生い立ちを吐露する。シンジは、赤ん坊のシンジがユイにだっこされて、そのシンジを見つめるゲンドウとマリがいる写真が冬月によって見せられるんだけど(おそらく冬月が撮ったのかな?)、彼らは学生時代つるんでた仲だったようだ。だからマリは彼らと同世代なワケなんだけども、マリのコトは次回に書くとして、ゲンドウもシンジによってサルベージ、ココロの救済をされた。ゲンドウは「初代シンジ」というか、またはシンジが「二代目ゲンドウ」というか、同じような心理的状況だったんだろうな。似た者同士というか、やっぱ親子だねというか。

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で、同じく押見先生の『血の轍』を持ち出したのは、この漫画は押見先生が『惡の華』の先を描こうとして描きはじめたという作品なんだけど、第1話から今現在まではあくまで主人公である静一の目線であり視点によって描かれてモノであって、静一の母親である静子の視点から見た現実はまたちがうモノである、というコトを静一が知った、というのが最近までの展開。

何が言いたいかというと、ようはモノゴトというのは人によって見方が様々だというコトだ。解釈もちがえば、見る角度もちがう、100人いれば100様の見方がある。現実に意味づけするのは、見てる人間によってちがう。ちょうどシンエヴァの作品内でカヲル君が「イマージナリー」とか「量子」という言葉を言ってたけど、シュレーディンガーの猫よろしく、見る人によって結果が変わってくる。捉えられてる「現実」というのは、あくまでその人から観た主観的なモノであって、モノゴト、事象現象、そのものソレ自体にはまったく意味は無い。だからシンジは人々がソレゾレに勝手に感じてる思ってる考えてる「イマージナリーな」世界についてまでも罪を感じるコトはないと。前回に書いたコトを繰り返し書いただけだけど、そのために引き合いに出した、というワケ。

第3村の生活が描かれたのも、二アサーがあって多くの人が亡くなって1000人しか生き残らず明日死ぬカモ分からず、戦後直後の日本みたいに描かれてたけど、ソレでも夜が来て朝が来て、人々は日々の生活の中に小さな幸せを見つけて懸命に生きてく、ていう。そんな生活も悪くないよとトウジやケンスケは言う。人間の原初の営みていうのかね、温かみみたいなモノを描きたかったんじゃないかな。ソレにアヤナミレイも興味を持って、擬似的な人間生活を経験するワケで。ソレが「生きてる」て実感なんでしょうな。ソレらに触れたから、その中で生活するコトで、シンジも活力というか、再生してくてコトなんだろうな。結局人は人にパワーをもらうんだろうな。元気玉みたいなモノだよね。

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嗚呼、まーだ『マトリックス』までには届かないな、、。マリのコトも書きたいし、、。

てなワケで次回へつづく。