血の轍 第2集/押見修造
- 作者: 押見修造
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2017/12/27
- メディア: Kindle版
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とにかく微妙な表情と不穏な空気を描かせたら、押見先生の右に出る漫画家はワタクシの守備範囲では見当たらない。表情のちょっとした線の角度などのちがいで、その人物が心の底からの感情による表情なのか、あからさまに演技をしてる白々しい表情なのかが、描かれてる絵以上に芯に伝わってくる。
キャッチコピーに「毒親」という言葉が使われてるが、第1集(1巻)では静子から毒親らしさはミジンもといっても過言ではないくらい感じられなかった。ただ普通の親子関係よりは過保護というだけで。そして長部家から感じるちょっとした違和感もありながらも、まあソレほど異常と呼べるほどのモノでもなかった。でもひたすら不穏さが漂う画面。連載時は「この不穏さはいったいなんなんだろう、、?どっからくるんだろう?」とその発信源がよく分からなかった。しかし静子がしげるを崖から突き落とすコトによって、不穏さはその姿を露にし、牙を剥き始めた。
第2集では、崖から突き落とされたしげるの入院の件と静一がラブレターを受け取る件と2つの大きなイベントがある。
連載時とはだいぶ加筆修正がされ、押見先生が「だいぶ読み味が変わった」と言われるとおり、若干わかりやすくなったのかなーという気がしないでもない。
とくに崖の下でしげるを見つけしげるの意識が混濁してる際、静一のほうを向いた静子に「たすけて」というセリフが追加されてる。この追加された言葉の前のセリフを読むと、ソレはしげるに投げかけられた言葉に聞こえそうだけれど、静子が自分の身を案じてるようにも思える。なのでこの「たすけて」は「(しげるを)たすけて」にも聞こえるが、「(わたしを)たすけて」にも聞こえる。そして静一は後者と受け取ったワケだ。対面上は「しげちゃんをたすけて」、静一には「わたしをたすけて」。
あともうひとつ連載時との一番大きいちがいは、静一が吹石さんからもらった手紙をまず静子が読んでそのあと静一に「見たい?」と聞き、見せたあとの静子の泣き顔。連載時はまぶたが三角になるほど下がり普段は見せないようなブサイクな泣き顔だったが、単行本ではまぶた三角ではなく少し大きめに見開いた目から涙をこぼしてる。連載時のいかにもわざとらしい芝居がかった泣き顔もよかったのに、この改変はなんでだろ?と思いつつ読みすすめて気づいたが、この静子の泣き顔のあとに静一の泣き顔も出てくるのだ。その静一の泣き顔はまぶた三角のブサイク顔。吹石からもらった、初めて人から告白された、しかも自分の好きな人にもらったラブレターを破り捨てる苦しさと、静子ママの言うコトを聞かないとまたママが壊れてしまうかもしれないという、心の底から湧き上がる狂おしいまでの葛藤からくる泣き顔。この静一の「本当」の泣き顔と区別するために、静子の泣き顔を変えたのでは?と。同じまぶた三角のブサイク顔だと同種の悲しみと捉えられてしまうからソレを避けるために変えたのカモと。
本来はしげるの件とは全く関係の無いこの吹石さんのラブレターの件だけど、前述した「ママの言うコトを聞かないとまたママが壊れてしまうかもしれない」という静一の怖れから、ラブレターを破るコトに同意してしまう。ママとラブレターを破りながらまるで自分も破り捨てられる感覚を受ける静一の顔は、微かに笑っている。このラストの静一の顔が一番のショックだ。タナトスというか、堕ちてく自分にエクスタシーを感じてしまってるような。なんとなく『悪の華』の仲村さんと春日の関係を思い出すが、この感覚がたぶん静子の感じてるモノと同種なんじゃないかと思う。静一にも静子の毒が回り始めたというか、静一も静子の血を確実にひいているというコトだろう。
全くのワタクシの想像だけど、たぶん静子は「痛み」とか感情というモノがよく解らないのではないのだろうか。変わるかと思ったけど、結婚をしても、子供を生んでも嬉しくもなんともない。自分を傷つけてもソレらの感覚が理解できないから、他人を傷つけてソレを外側から観察するコトで理解しようと試みているような。でもやっぱりよく解らない、、というような。でもソレっぽく演技をするコトはできる。悲しんだり笑ったり「感情」を表面上、表情に表すコトはできるが、ソレは本心からあふれ出るモノではない。だから彼女からは何から何まで演じてるようなうそ臭さしか伝わってこないのではないだろうか。
彼女の狂気ばかりに目が向きがちだが、一方、頼りないけど(年齢的にしょうがないが)正義感のあるひとりの男の子を育て上げる能力はある。常に常軌を逸してるような心理状態ではない、というのは書いておく必要があるように思える。多少過保護かもしれないけど、傍からはソレほどおかしい家族関係には見えない。なんとか日々、彼女自身が意識とその破綻のバランスを綱渡りのように取り続けてるのかもしれない。そのハンドリングが人一倍難しいというだけのコトなのかもしれない。ソレを静一に「たすけて」と訴えてるのだと思う。自分をこの闇から救って欲しい。それは本心なのではないか。
彼女自身が普段からパンパンに張り詰めた風船のような心持ちで、ある時にパァーン!と破裂してしまう、自分の意識とは関係なく、、というような危うさを秘めているように思える。その緊張感こそが、作品全体を支配する空気となって流れているのだ。