反知性主義とやら。
内田せんせいの反知性主義の本をチラっと読んだけど、微量栄養素ていうのかな、ソレらも人体にとって大事な栄養素なのに、そういうのは取りこぼしてる。そういうようなコトなんだろうかと思った。
精製した食塩(NaCl=塩化ナトリウム)だけじゃなくて、その他のミネラル分が実は重要なんだよと。NaClとその他ミネラル、微量栄養素がフクザツに絡まりあって、相乗効果とかで人体に良い影響をもたらすていうかね。中には良くない栄養素とかいらない栄養素も含まれてるのカモしれないけどもね。そういうのは排出できるんだよ、健常な人体なら。自然のモノだからね。ソレを精製すると人工物になるというか近づくんだよなきっと。ちょとハナシそれたか(笑)
話戻すと数字とかさ、何でも分かり易い枠に押し込めると取りこぼしがあるよと。アナログ・デジタルとか。その取りこぼしを気にしないとか、取りこぼしてるコトに気づかないとかそういうコトかな。
でも知性反知性て区別して枠に押し込めるコト自体がどこか反知性な感じはあるよな。だから文を寄せた人たちが書きにくさを訴えるのも分かる。
結局考え続けるてコトだよね。今すでにある情報に飛びついて「コレだ!」とかさ、思考停止、短絡的にならずに自分なりに考えるてコトが知性的ていうコトなのかな。知性を磨くてコトなんだろね。
たとえばウィキペディアとか検索とか便利だけど、ソレはソコに書いてある情報しか得られないんだよね。ホントはソコに至るまでにアレコレ考える、ていうその過程(経験)でいろいろ気づいたり考えたり(寄り道含めて)、そういう頭の体操的なコトが知性を高めてくし、本中にも出てくるけどキャッチアップにつながるんだと思うな。頭の筋肉を鍛えるてコトだよな。
たぶん、今の「上を求めない」とか「普通が幸せ」とか草食肉食とか、そういうのがモトにあるんだろうね。ようはガっつかない。渇望しない。求めない。だから学びが弱いというかね。今あるモノで十分ていうそういう時代の気質というか。「今あるモノで十分幸せだよ、ソレが何か?」ていう。
まぁ「求める」のと「求めない」のと、ちょうど良いぐらいのMIX具合が良いんだろうね。どっちがいいていうより。要所要所で、ときには求めるのも必要だし、必要十分だと思えるコトにはソレ以上求める必要もないでいいんだろうし、ナントカ主義ていうより「道具」とみなして有効活用しましょうてコトだと思うよ。