令和、はじめました。
令和元年五月一日。今日はテレビがいつものようにガチャガチャしてなく、厳かというか穏やかな感じ。出演者が敬語使ってるからかな。しかし昨日もそうだけど平成天皇(上皇)退位と今日の新天皇即位の儀式のときは晴れるという。あーやっぱりこの国は「日いずる国」なんだなと思った。
即位の儀のときに新しい天皇の声に注目してたら、ちょっと昭和天皇を思い出した。上皇より昭和天皇寄りのお声に近いような気がする。儀式の執り行われた場内の響きもあるけど、やっぱり倍音だ。この声が大事だなとワタクシは思うのだ。
新しい天皇の即位の儀でのお言葉についてテレビのコメンテーターが「覚悟がお見受けられる」とコメントしてたが、ワタクシもそう思う。たんなる位の継承以上に、やはり前の天皇(上皇)がされてきた行為や想いも継承するという意味がこのおことばにも含まれており、その重さが「覚悟」につながっているんだとワタクシも思う。そして自らの覚悟と同時にこの国と国民と世界平和を切に願う、という外に発信、天皇としての初の外に向けたメッセージ、へとつながる。
ワタクシは右だとか左だとか関係なく、ただ自分が思ったコトを書いている。
新しい元号、令和フィーバーとか騒いでる人たちもいたようだけど、もちろん盛り上がる気持ちもわかるし、ソレはソレで良いと思うけど、ワタクシはソレばかりではない部分も若干ある。やっぱりまた新しい天皇に「天皇をやってもらう」という気持ち。本来なら普通の、世間一般の人たちと同じように生活をして、という人生とある意味引き換えに、この日本という国を代表して、一人思い(想い)とか責任とか、様々なモノを背負ってもらう、背負わせてしまう申し訳ないけども、、という気持ちもあるので、手放しでバンザイ!という気にはなれない。自分には、あるいは普通の人にはできないコトをやってもらう、そのコトについてはワタクシは別に今回の天皇に限らず、例えばプロのスポーツ選手とか無条件に尊敬するコトにしている。常に尊敬の念がある。
そしてコレは前回の昭和→平成の代がわりのときにも思ったコトだけど、さすがにまだこちらの目も慣れて無いコトもあり、新しい天皇がまだ「皇太子」という感じが正直抜けきらない。でもテレビを見てて思ったのは「皇太子」が儀式を経るゴトに、じょじょに「天皇」になられてるような気もする。でもおそらく、新天皇のコトを違和感もなく「天皇」と思えるようになるにはもうしばらく時間がかかるだろう。そのときに「新」という字が取れるのだと思う。
元号が変わる、といっても元号そのものについてというよりも、やはり天皇のコトについて語るコトになる。あまり天皇のコトについて書く機会も無いので、よい機会なので書いてみました。