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相撲について。〜伝統と時代の要請の間で〜

京都府舞鶴市で行なわれた4月4日の巡業中、土俵上で挨拶をしていた市長が突然倒れるアクシデントが起きた。その際、看護師の女性らが土俵に上がったのを見た場内アナウンス役の行司が「女性は土俵から下りてください」と放送。あまりに不適切だという批判が巻き起こり、八角理事長(元横綱北勝海)が謝罪に追い込まれる事態となった。』

ちょっと前の話題だけど、この話題に対しての反応が女性差別とかそういったモノになってて、たしかにそういう見方もあるだろうけど、ワタクシはなーんかこの種の意見というか批判に違和感がある。

ワタクシはこの話題をニュースで見てまず疑問に思ったのが「相撲協会だかなんだか知らんけど、協会側は自前で医者は用意していないのか?」と。ボクシングにはリングドクターがいるし、新日本プロレスだって団体が自前でドクターを用意してる(他の団体は知らないが)。総合格闘技もいるだろう。なのに相撲はいないのだろうか?いればこんなふうに取り上げられるようなオオゴトにはなってないはずだ。日本の国技とも言われるような相撲が自前の医者すら用意できないというのは、どんなテイタラクなんだろうか。

そして他にも、女性の市長が土俵上で表彰したいという要望をしたが断られたらしい。コレについてもワタクシには疑問がある。女人禁制という伝統を見直すために要望したらしいが、ワタクシにはこの市長がなにか自分の売名行為というか、話題に乗っかってという便乗商法的なヨコシマな欲が見えなくもない。

女人でもなんでもいいけどなぜ「禁制」と言われてる場所に上がりたいとムリな要望をするのだろうか。まずソコの神経がよくわからない。

そしてワタクシの個人的な考えだけれども、男とか女とか伝統とか言うよりも「土俵に上がるコトができる資格があるかどうか」のほうが大事だと思ってる。

両国国技館の土俵に上がって相撲を取るのが夢で、毎日毎日汗水流して猛稽古に励んでる若き新米力士だってたくさんいるはずで、あの場所に上がってる力士は、そういう人たちの中でも選りすぐりの選ばれし者だけが上がるコトが許されてるワケだ。そういう許された力士だけがあの土俵に上がる資格がある。ソレを稽古もしてないシロウトが軽々しく「上がりたい」と言って簡単に上がれるような場所じゃないと思うし、ソレは日々稽古に励んでる力士たちに対して失礼に当たらないだろうか。敬意とか尊敬の念が無いというコトにならないのか?そういう気持ちがあれば軽々しく言えないはずだ。もし協会側が「上がってもいいですよ」と許可したならば、ソレではじめて上がれる場所であって、上がる側としては「上がらせてもらってる」という謙虚な気持ちが自然と湧くはずじゃないのか。なんかこの市長は差別問題を持ち出して対等というかイーブンな関係をと言いたいのカモしれないけど、そうではないのだ。

「資格があるかどうか」の区別は必要だとワタクシは思う。

別に土俵じゃなくてもプロの場所というのはシロウトが軽々しく上がるような場所ではないと思う。現実問題として、ソコでケガでもされたら大変だし、ソコで線引き(区別)する・結界を張るコトによって神聖視とまではいかなくても、こちら一般人の現実世界とはちがう世界の現出が可能になるのだ。

たしかに時代の要請はフレンドリーだろう。ワタクシはプロレスが好きなので(別に相撲は好きでも嫌いでもない)プロレスにたとえるけど、プロレスのリングも神聖視される。いや「されてた」と過去形にしたほうが現在はいいのカモしれないけど、ワタクシはいまだに神聖な場所だと思ってる。もし道場マッチとかせまい会場とかでリングに近寄れる機会があったとしても、気持ち的に近寄るのが精一杯で触れるコトなんてできない。触ってもいいですよと言われても遠慮&躊躇してしまうだろう。
昔のプロレスラーは近寄りがたかった。その近寄りがたさが常人とはちがう殺気というか何かしらを醸し出していて、ある種のハクをつけていたのだけど、今はどんなジャンルも時代的になのかフレンドリーで、そういった「近寄りがたさ」が好まれない。等身大で手が届きそうなアイドルとかが好まれる。プロレスラーも同様だ。だからワタクシの考えは「昭和だ」と言われれば否定はしない。
でもこういった時代の要請というか雰囲気・価値観というのは永久的なモノかどうか分からない。伝統というか慣習になってるモノ・コトのほうが長い時間を経てきており、そういったモノ・コトを一時期の価値観で歪めたり変えたりしていいモノなのかどうか、というのはある。ソレによって何か変質または意味が無くなるというようなコトはないのだろうか。宗教というモノも時代によって変化して今の形まで続いてきたという面もあるようだ。伝統というのはある意味変化の連続とも言えるだろう。老舗の和菓子も見た目は変わらないようでいて、時代によってあんこが甘くなったり大きくなったり小さくなったりして変化してきてるらしい。だから時代の要請に応えながら続いてるとも言える。全ての要望を丸飲みするコトはできないだろう。しかしなんらかの折り合いをつける必要はあるのカモしれない。

https://www.asahi.com/articles/ASL4H56QXL4HPTIL002.html
他のスポーツと同様に相撲も女性の相撲というのがあるらしい。ただ彼女たちも国技館の土俵に上がりたいようだ。

ならワタクシの案としては(1)「第ニ国技館」みたいなモノをつくって、ソコの土俵は「男人禁制」にする。(2)国技館に土俵をもう1つ作る。ソコは女性専用にする。そして懸賞とか市長や総理などが上がる場所は、さらに別に舞台を設け、ソコで表彰とかをする。土俵はあくまで力士と行司と緊急時の医者しか上がれないコトにする。(3)あと何かの雑誌に載ってた案にヒントを得て、弓取り式みたいな儀式が全取り組みの初めと終わりにあって、取り組み前には神様をお迎えする儀式をし、その儀式後は力士と行司、緊急時の医者しか土俵に立ち入れないというコトにして、全取り組みが終わった後に神様を天に送り出す儀式をする。その儀式後は誰でも土俵に上がってもいいとする。(3)が一番現実的な折衷案のような気もする。