必要な不快。
雨男なので、傘をよく持つようにしてる。そうすると逆に雨が降らないからだ。過去の経験から、傘を持ってると雨が降らず、傘を持たないときに限って雨が降るからだ。基本、長い傘。はっきりいってジャマだ。メンドくさいし。でも本屋で立ち読みするにもカバンにぶら下げたり、コンビニに入るときもできるだけ傘立てに立てないで持つようにしてる。忘れちゃうからだ。違和感、異物感、この「ジャマだ」と思ってる不快さが実は大事。この不快さ、ジャマくささがなくなって「アレ、なんだか身軽だな、、!」と気分よくなったら、ソレは傘をどっかに置き忘れてきてるというコトになる。
トコロ変わって、おとといだったか100均で『永遠のパズル』が流れてた。珍しくこういった公共の場(笑)で聴いた気がする。いずみさんのこの歌の歌詞は正直説教くさいし、快か不快で言ったら不快であると言えるだろう。耳が痛いという人もいると思う。不意打ちのように店で聴くと、ソレはいずみさんの歌ではよくありがちだけど、なんだかいたたまれないような気分になる。聴きごこち、耳障りは決してよくない。でも今こんな歌は無い。みんなやわらかくてトロトロのふわふわで歯なんかいらない「飲み物」みたいな歌ばかりだ。だから逆にいずみさんの歌は存在感が増すばかりだ。存在感が大きいから、よく噛まないと消化できない。でも「よく噛む」という行為の心地よさみたいなモノもあると思うんだけど。
夜、家に帰って風呂に入ってたらふいに「いずみさんの歌というのは、ある意味「ココロの傘」のようなモノだな」と思った。普段は違和で遺物カモしれないけど、いざ雨が降ったら傘をさせる。ココロがずぶ濡れになるのを防いでくれる。強引に結びつけたけど、我ながらきれいにまとまったなと思った。