橘いずみ+榊いずみ20thAnniversary ゴールデン☆ベスト。まとめ2
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全部通して聴いて。まず音がすんごく良くなってる!コレは昔の曲も最近の曲も「全曲リマスタリング」したとブックレットに書いてあったけど、こういうのは音楽以外の言葉に表した方が分かりやすい。例えるなら「お米の粒が立ってる!」て感じ。現在の最新のテクノロジーで作った炊飯ジャーで炊いたような、はたまた現在の最新のテクノロジーで精米したお米を炊いたようなツブの立ち方!
そしていろいろ考えた。最後は『まんまる』て曲と『TOUGH』て曲なんだけどさ、コレてようは同じ1つのコトを歌ってるのね。いろいろあるけどソレでも「まんまる」の中で暮らすよ生きてくよ、てのとタフに行くんだ生きてくんだ、てのが。この2曲の間には10年以上?の時間があるけど、歌で伝えたいコトの本質は同じ。だから最後のこの2曲が並ぶてのは納得ていうかね、分かるんだよ。3・11前に作られた、3・11後にも通用する、射程距離の長い「タフ」な歌。
たぶんいずみさんはそういう歌を歌い続けて行きたいと思ってるだろうし、そういう歌を歌える自分でいたい、歌手になりたい、と思ってるんじゃないかな。
おそらくいずみさんはそんなにたくさんのコトを伝えたいとは考えてないんだよ。両手か片手で数えるほどのいくつかのコトをさまざまなアプローチで伝えたいだけなんだと思うな。
あとライナーノーツに「家族3人がいびきをかいてる」というような文章があって思うトコロがあったんだけど、「いびき」て平和の象徴みたいなトコあんじゃん。ココロから安心しきってる・許せる存在だからいびきがかけるというか。かたや聞かされてる者にとっては「いい気なモンだな」とか「うるせぇな、、」と思うワケだよ(笑)。イライラするでしょ。でもコレがしばらく静かに眠ってていびきを聞かなくなったりすると、逆に不安になったりもすると思うんだよ。で、今度は久しぶりにいびきをしてるのを確認できるとホっと安心してね。勝手なモンだよね、人というのは。
だからよく夫婦の仲とか家族てのは「空気」みたいなモノとか例えるけどそうじゃない。そんな無味無臭無刺激のモンじゃないよね。「いびき」みたいなモノなんだよ。毎日聞かされるとイラっとするけど聞かなきゃ不安になる。イラっとするけどいなきゃ不安だし、いたら安心する。そういうモノなんだと思うよ。そういう意味で「いびき」て家族の平和の象徴みたいだな、て思った。その家庭のBGMなんだよ。
いびきを聞く人のココロの持ち様が変わる。家族であれどうであれ、他人と生活を共にするてのは、他人の存在が自分の心理に影響を与えてる=自分の中の他者に気づく、てコトなんだと思うよ。もちろん逆もそうだな。自分という存在が他人に影響を与えてる。相互関係。そういうコトを学ぶのが「結婚」でもあるのカモしれないね。
音楽もいびきに似てると思うんだよな。空気みたいな無刺激じゃなく、存在が影響を与えて、いつのまにか住みついてる。
橘いずみという歌手はつまるトコロ「愛されたい」「愛したい」というコトをいろいろ形を変えて歌ってた。代表曲の『失格」しかり『永遠のパズル』しかり、彼女のホトンドの曲はこのメッセージに集約されると思う。他人から愛されたい、他人を愛したい。つまり「自分を愛したい」。コレに尽きる。『十字架とコイン』ではっきりこう歌っている。
愛することと愛されること
渇望。飢えてたんだよ。愛情の渇きがあの激しさであり叫びだった。『失格』でも最後は「(四の五の理屈を言ってる)私を愛したい」だから。でも実際は愛せてないんだよ。愛せてないから「愛したい!」てわざわざ口にするんだ。ソコに呼応したワケだな、ワタクシは。このベストを聴いて、今になってハッキリ理解した。
アルバム『十字架とコイン』のこの歌を当時聴いて「もうここまで行ったら、この先どうすんだろお??」と思ったモンだよ。もう究極じゃん、と。したらやっぱ『〜オリオン座だよ』でちょっとやわらかくなったり「路線変更?」みたいに思ったけど(笑)。そういうコトだったんだなぁ。『十字架とコイン』で橘いずみという歌手が一番言いたいメッセージをハッキリ歌ってたんだモンなぁ。そりゃ究極だと思うワケだよ。
「自分を愛したい」というのには「向上心」とか「『こうでありたい』と考える自分像」とかもあるワケで、今の自分はソレの欠落とかソレへの渇望があるワケだ。どうも『永遠のパズル』を勘違いしてる人がいるぽいんだけども、あえてソコは正しませんよワタクシは。ココで「ホントはこういう歌なんだよ」とは申し上げない。いつか「ああ、こういう歌だったんだ」と自分で気づいた方がいいから。
で、ソレは置いといてだよ。置いといて「今の自分」は本当ではないとか「いつわり」だとか「まやかし」「ごまかし」だとかてなるとソレは「今の自分はちがう」「今の自分を認めない」てコトだよね。まぁ向上心てそういうのも含む。歌詞にも出てくるよに「もっと上だ〜」だから。
でも榊いずみという歌手の歌は「今ここの自分を認めよう」「今という時を大事に」という歌が多い。ここの衝突てのがあるなぁー、と思ったワケ。コレはなんだろなぁーと考えたら、やっぱり他人の存在、つまり旦那さんだったり娘ちゃんだったり(愛猫だったりょくさんだったり)の影響がいずみさんに心境の変化を与えてこういう歌を歌わせてる、歌うようになったんだろうなぁと。やっぱそういう考えになるけど、でも本当は最初からこうなりたかったんだろうな、とも思う。
「今ここの自分」を認めたかったけど認めるコトのできなかった橘いずみは、20年かけて、榊いずみになって「今ここの自分」を認めて胸を張って歌っている。
いずみさんがいるから家族が安心していびきがかける。ソレをいずみさんが感じてるから満ち足りている。そういうコトなんだろうなぁ。