秋の番組めじろおし。その2
『ぼく麻理』のつづきだけれども、原作とドラマとの変更点は、まず原作でのあの古本屋でのクダリが(古本屋でぼくのじゃないの?と気づいて「もしかして」となってくワケで、そのへんの徐々にわかってく過程が尺の関係上描けないのか→追記:第2話で少し出てくる)コンビニで「麻理さん?」ていうのが小森の自宅前になってるし、何よりももかたちとのやりとりが無い(いずれ出るのカモしれないけど→追記:第2話で少しやりとりはある)。だから思うんだけど、たぶん「ココは省いたらお話として成立しない!」という最重要場面をまず優先的に残して、あとはドラマの尺の関係上次に大事な場面を活かすとか、つじつまが合うようにドラマオリジナルの場面なりセリフを追加するとか、2つ別々の場面を1つに集約したり、原作と順番を変えるとか、そんなふうな考え方なのかなーと。そのへんの編集的な作業がこういった原作ありのドラマ特有の作り方なのかなとは思う。
あと小森のいわゆる「気持ち悪い」という設定がまだ「汚部屋」と「エロ本」でしか表現されてない、エロ本のみに集約されてるから弱いんだよな。もっと汚らわしさやむさくるしさが強調されてたほうがいいんだけど。そうすれば依さんは小森を汚らわしいと思ってるワケで、小森の汚らわしさと依さんの麻理に対する気持ちとの対比効果につながっていいのに。小森はイケメン度ゼロなんだから、イケメン俳優がやるのがそもそもミスマッチなんだろうけど、まーソレはしかたなし。まーTV的にどこまで踏み込めるか、ていうのはドラマ化されるというのを知ってから気になってたトコロではあって、ソレで小森の気持ち悪さがドコまで表現できるかがこの先見ものでもある。
エライザ嬢の麻理は思ってたより良かった。彼女の思い描くトコロの「小森がなかにいる麻理」のイメージが良い。ワタクシの小森がしゃべってる麻理のイメージは、麻理自身がしゃべってるときに比べて少年ぽいような(大学生というよりは10才ぐらいの少年のような)あどけなさがあるんだけど、ソレにかなり近いイメージで、コレはうれしかった。彼女なりの男の子のイメージなんだと思う。彼女のキャラクターへの(小森や麻理に対して)愛情を感じる。ただもっと望むとしたら、そのエライザ嬢の演じる「小森」と吉沢氏の演ずる小森がイコールに感じられないと、とは思うのだけれども、ソコはちょっとイマイチ現段階では結びつきにくいカモ。吉沢氏の小森がもちょっとおさない感じか、ソレともエライザ嬢の小森がもちょっと吉沢氏の小森に近づけるか、どっちかだと思うんだけど。
ただ第2話で「ごめんなさい!ぼくは麻理さんじゃないんです!」ていう告白の場面はエライザ嬢があそこまでやってくれるとは思わなかった。ほぼワタクシが原作を読んだときのイメージといっしょ。なんだかエライザ嬢を褒めてばかりだけども褒めるしかない。逆にこの先どこまでやってくれるのかな、と期待してしまう。楽しみだ。
第2話でいわゆる生理のクダリとかもちょろっとはあったし、この先鏡の前で自慰行為とかTV的に微妙だけどストーリーとしてははずせない重要なシーンが出てくるんだけど、さあ、ドラマではどうでしょうかね。どう表現するのか。
あと原作の漫画を読んでるときはそうでもなかったんだけど、こうしてドラマで動いてるのを見るとやっぱり依さんは気持ち悪いカモしれない(笑)。少なくともハタから見たらそうだなー。コレは麻里のなかの小森の言うコトのほうが正しい。
つづく