武器を持たない勇気。
現政権であり自民党の多くの人たちは改憲をしたいと考えている。憲法の何を変えたいか、または付け加えたいかというと主に9条についてだ。ワタクシはこの考えについては反対だ。
ワタクシはこの国の人たちの、言葉が思いつかないけど「民度」というか「国民のレベル」というか「知性」というか、そういったようなものが高ければ、より具体的に言うと「戦争をしたいと考える人」というのがこの国にいなければ、憲法をいじったり変えたりするのもソレは結構ではないか、とそう考える。たしかに時代に合わなくなってる項目もあるのだろうし。
でも残念ながら現状、武力を持ちたい、戦争をできるようにしたいと考える人が、ソレもこの国の政権を担う人たちの中にいるようなので、ワタクシはそういう人がいるような現状では、いくら時代に合わない部分が他にあったとしても変えるべきではない、憲法に手をつけてはならない、とそう考えている。時代に合わない部分を変える、というコト、いわゆる改憲というコトに手を出すとなると、この国の人たちがそういったコトに慣れてしまうというか。または「コレなら多数の人が変えるコトに賛成するだろう」というコトと抱き合わせで「戦争ができる状態へと近づく」何かを通しかねない、そんな疑念がある。そういった姑息な手段とでもいうか、狡猾なやり方などを考えて、なんとしてでも戦争ができる状態にしたいと考えてる人がこの国にいる限り、ワタクシは改憲には反対だ。
原発もそうだと思う。この国の人の知性というかレベルというか、ソレがおそらく原発を動かすのには能力的に達してない、そうワタクシは考えている。現実に動かしたはいいけど、事故が起きた時、廃棄物の問題、そういったものをどうするか目処も経ってない、そういった状態では原発を動かす資格があるとはいえない。放射性物質の問題や全てがオールクリアになってはじめて動かしてもいいモノなんだと思う。
戦争をしても潤うのは軍需産業だけではないのだろうか。ガンダムで言えばアナハイムだけで、彼らに連邦やジオンはコントロールされてるようなモノだ。戦争が長引いてくれれば長引くだけ、彼らは潤う。
武器を持たない、売らない、買わない、作らない、使わない、そういった勇気が必要だ。それが強さだ。