ながら瞑想。
昨日「そっかぁー!」とひらめいたんだけど、瞑想て自分の雑念を否定せずに認識してくて書いたでしょ?調べてないから想像で書いてるだけなんだけど(笑)。ソレをさ、自分のまわりにも広げるんだよ。いわゆる目をつぶって座禅を組んで自分の中を見つめるのが普通の瞑想を「クローズド瞑想」とするなら、「オープン瞑想」「アクティブ瞑想」とでも言うべきか。
まわりに雑音がたくさんあるじゃん。日々の生活においてさ。たとえば外を歩いてて、誰かが騒いでるのを耳障りに感じてイラっとするとか、いろんなコトが。そういうのをすぐ否定ではなくて、瞑想と同じように「認識する」ようにする。1つづつ丹念に。そうやってくと、自分の中だけが「自分」じゃなくて、自分のまわりも「自分」に取り込んだ、拡張した感じになると思うんだよな。
でもさ、さらに思ったんだけど、まわりのコトについてイラっとしたりいろいろ感じてるのはあくまで「自分」であって、自分の中の不快であり感情だから、コレはもう普通の瞑想と同じように自分の中での処理になってくんだよな。
外を歩きながら、日常生活の中での瞑想。「ながら瞑想」か。