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スーパースターの闇の深さ。

もう若干記憶が薄れかけてるので、ここらで書きながら思い出す方向で、一発先週の吉田拓郎氏とジュリーの対談番組について書いとこ。
チャンネルをぽちぽちやってたら、拓郎氏とジュリーが対談をしてて。まーちょっとバーぽいようなざっくばらんな感じのセットでね。ワタクシ、ジュリーが好きですから、ソコでチャンネル変える指を止めて、そのまま番組見るコトにしましたよ。
現在のジュリーは、まぁ知ってる人はご存知のようにリッパな体格でありまして、まー歳取ると新陳代謝悪くなるワケでね、そのへんは別にワタクシとしてはいいんです。オッサンだろうが髪が白っちゃけていようがヒゲをたくわえていようが。そういう風貌ではあるけど、ちょっとした手の動きやしぐさに「ああ、やっぱりジュリーだ」と思えるのだから。おそらく80歳過ぎのおじいちゃんになってもワタクシのジュリーに対する思いは変わらないだろう。ただ対して拓郎氏の若々しさといったら、、。2人て歳そんなに変わんねんだろ?知らないけど。こう2人が並ぶとどうしても見比べざるをえないし、、。見た目もそうだけど、あの肉食系的な内面の若さ、本人は「青さ」と言ってたけど、アレはアレですごいモンだね。アレが「ステージに立つ人」というか、エネルギッシュ。対してジュリーはジュリーで、拓郎氏に比べれば、歳相応に、いやもしかしたらソレ以上に「人生に疲れた」感じなのである。なんでだろ?ジュリーなんでそんな疲れてんの、、?
拓郎氏は自分がホスト役だから常に自分からジュリーに話しかけるんだけども、なかなかジュリーの口が重く会話が続かない。ジュリーもたぶん言いたいコトはソレこそいっっぱいあるんだと思うんだけど、言わない。しばらく考えたあげくしぼり出してやっと一言二言話す程度。気持ち上向きに顔を上げヒゲをもしゃりながら苦しげに「今この場で言えるコト」を考えてる時間と空気の重さ。その沈黙が、逆に言葉よりもジュリーの苦悩を雄弁に語ってるようにワタクシには思えた。
その沈黙が幾度と無く繰り返される。拓郎氏が押したり引いたりしながら、時に柔らかい話題をフリながらトークを続けようとするが(あの吉田拓郎が気を遣っている!と思いながら:笑)番組が進むにつれ拓郎氏がじょじょにイラだってきてるのが言動からも伝わる。ソレは「沈黙」そのものに対してイラだってるのではなく、おそらく「沢田ーっ、おまえもうちょっとラクになっていいんだぜ。そんなに1人で背負い込んでないでさー。」ていうイラだち。ソレをジュリーもおそらく「いや吉田、分かるけど、やっぱりオレ、、言えない」ていう、まるで2人のスタンド(byジョジョ)の攻防が見えるような沈黙。無論、拓郎氏もそんなジュリーの苦悩が分からないでもないので理解は示している。けど「ソコまで話せないモンなの?!」だ。ただワタクシは、基本関西人だからジュリーが話が面白いのも知っている。この番組でもそんな場面も垣間見れた。たぶんジュリーはオフレコならもっと話せるコトもあっただろうし、ソレこそ気心の知れた仲間同士ならもっとフランクにクダけた話もするのだろう。

ジュリーは自分のこの仕事は「ツブシが利かない」と言う。だから、しょうがないからスーパースターをやらざるをえない。そういった直接的な言い方はしていないけれども、限りなく近いニュアンスで。「オレは、みんながイメージする『歌手沢田研二』をやるしかないんだよ」と。この「しょうがないからスーパースター」というのがスゴクないか、と(笑)。選択肢が一択しかない、消極的な選択。「オレ、スーパースターしかできないんだよ、、」という、自分への他者の理解のされなさからくる孤独。コレはそういう星の下に生まれた人、選ばれし者だから言える言葉であって。でも一方でジュリーには「いやいやオレはふつーの人間だよ、ふつーのオッサンなんだよ!!」と世の中に叫びたい気持ちがある。「いつも何か特殊なコトをやってくれる、期待されてる歌手沢田研二」と「ごくふつうの沢田研二という人間」、その2つに引き裂かれてる感じが、画面の中に居た。その引き裂かれた「裂け目」からボゥンと「諦念」という煙が漏れ出る。ジュリーは自分のコトを「楽観的だ」と言っていたけど、ソレは楽観的というより「諦め」なのだと思う。ツブシが利かないんだから、考えたって、悩んだってしょうがない。オレはスーパースターをやり続けるしかない、という諦め。その諦念がジュリーに「疲れた」感じをまとわせる。
ソレでいてジュリー自身、「歌手沢田研二」はこうあるべきだという確固たるモノがあるのか、ジュリーは「歌手沢田研二」に対して常に高いレベルを要求する。ソレはまわりの「歌手沢田研二」を作り上げる人たちにも望まれる。自分に対するファンのイメージを崩さないように、失望させてはいけないと思うから、スーパースターをやってしまう自分がいる。ある意味職業病なのだな。だからそんなジュリーに拓郎氏は「あなたは真面目だ」と言う。コレは多分に皮肉を込めて言ってるんだとも思う。
むずかしいんだろな、拓郎氏も。ジュリーは「憧れの存在」だけど、プレイヤー側の自分のジェラシーもあるというね。拓郎氏はジュリーに対して「女のコにキャーキャー言われて華やかでうらやましい」と素直に言うけど、ジュリーは拓郎氏のファンについて「男の人たちがしっかり歌を聴いてる」印象があるよう。でも「うらやましい」とまでは言わないのも「自分のイメージ」からなのかな。
歌手に限らずだと思うけど、表現者は固着したパブリックイメージというか他者の目、自分の枠から意識的に逸脱する時期がくる。ソレはマンネリや煮詰まりを感じるからで、おそらくソレは拓郎氏もやってきたはずなのだ。モノの考え方や行動を自分の枠からハズれるコトによって自らの表現の幅を広げ、新たな自分を獲得する。
例えば清純派で売ってたアイドルが、ある時ドラマの汚れ役に挑戦する。プロレスで言えばベビーフェイスのレスラーがヒールターンする。ソコには必ず賛否両論が生じる。が、ソレらの行動は今後も表現者としての活動を続けるための選択なのである。しかしジュリーはソレが許されなかったのか、自分自身許せなかったのか、そういうイメチェン、シフトチェンジ的なコトをしてこなかったのかな。というかジュリーの場合は新曲のたびに「イメチェン」であって、そういう沢田チェンジ(ダジャレか:笑)という特殊さがジュリーにとっての「普通」で、特殊なコトをするのが「ジュリーらしい」という認識。そういうイメージをまわりが作り上げ、ソレを守ってきたジュリーだから「真面目」なのだ。あの吉田拓郎氏でさえ全てを理解できない闇の深さがソコにあった。色濃い漆黒の影があるからこそ、歌手沢田研二は光り輝く。自分を犠牲にして獲得した眩い栄光。
ジュリーは、自分が太っててサングラスかけて「ま、いいか」とガッカリされても、TVで大活躍してた頃のジュリーではない今の自分がラクだと言う。拓郎氏は自分にも言うように「結局、ステージの上でしか生きられないんだよな」というようなコトを言っていた。
拓郎氏はこの番組でジュリーと話すのが3回目だという。何年ぶりつってたっけな?とにかく久しぶりとのコト。で、次は70歳になったらまた会いましょうと拓郎氏が言って番組終わったんだけど、結局お互い真逆の方向を歩いてるから、たまに後ろふりかえって姿を確認したくなるんだろね。そのくらいの距離感てのも、様々な人とつきあってると、あるんだろうな。

あー、今youtubeで2人の名前入れて検索したらありましたねー。ちょっとでも言わんとしてるコトは伝わるかな?