「生きるコト」はもっと自由になれる。その3
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とうとつですが、糸井さんの10月30日のツイートより。
『糸井 重里 @itoi_shigesato
雨露しのげる安全な寝る場所と三度の食事と多少の娯楽が確保されている刑務所と、寝床も食事も安心もないホームレスの暮らしと、どっちが「罰」としてつらいものなのだろう。たぶん、鍵になるのは「自由」ってことなんだろうけど‥‥・⇒明日の「ほぼ日」』
そして翌日の『今日のダーリン』(ほぼ日刊イトイ新聞)です。
『ふとね、「罪と罰」っていうもののことを考えててね。
寝る場所があって、食事が確保できていて、
運動や、多少でも娯楽などがあるのだとしたら、
それはホームレスの人が冬の路上で寝ていることよりも、
ある意味、楽なことなんじゃないかと考えたんですよ。
なのに、懲役何年とかね、刑務所とかに入るのって、
どこが罰としての意味なんだろうと思ったんです。
そして、たぶん「自由」ということに
関わる問題なんだろうな、と想像しているわけです。
で、ぼくらは、それこそ刑務所の外の「自由」な場所で
生きているわりには、「自由」を大事にしてないな、と。
じぶんのほうから、めんどくさいとばかりに、
「自由」を安い値段で売り渡しちゃってるかもしれない。
他人の自由なんか一切認めたくないって考えも、
この世の中には、けっこうあるもんなぁ‥‥。』
コレとは全く別件だけど内田せんせーのツイート。ワタクシが「リンクしてるな」と思ったので引用してます。
『内田樹 @levinassien
それは「楽天家」だということです。どこで、何をしていても、何を経験しても(独房に放り込まれても、シベリア送りになっても、亡命しても)「おお、これは革命の役に立つのでは」と思ってつい元気になってしまうクロポトキン体質こそ君たちが体得すべきものなのであります』
その3はこの本を紹介というコトで考えてたんだけれども、したら糸井さんがこういうコトをつぶやいてたので「おおーっ」とか思って。でもこの本を読むと、いかにワタクシたちがいわゆる「ホームレス」の人に対して一面的にして見てないな、というコトをマザマザと思い知らされる。糸井さんもしかりだ。この本に出てくるホームレス、ではなく「ホームあり」の路上生活者の鈴木さんは『寝床も食事も安心』もある。むしろワタクシたちより豪華な食事をしてるカモしれない。なんせ月の食費が5万なのだから。そして家賃¥0で、光熱費はガスボンベくらいのモノだろう。
無論糸井さんはそういうコトを言いたいのではない。分かってますとも、ええ。糸井さんの「どちらが罰か?」という問いにワタクシが答えるとするなら「どっちが自分の人生を切り拓いていけるか?」と新たに問い直す。
糸井さんの言う刑務所で刑罰を受けてる人は、雨風しのげて3度の食事ができて多少の娯楽もあるけど、自分の自由がホトンドない。週刊朝日のホリエ氏の獄中記を読むと本とかの購入は可能らしい。しかしソレも規制されてる。つづいてホリエ氏は「濃い味の食べ物が食べたい」とも書いている。自分の食べたいモノを食べれない「不自由」がある。おそらく限られた空間なのだから人間関係の苦労もソレなりにあるコトだろう。眠くなくても就寝時間は決まっている。時間で管理され、何もかもが決められている生活。
ただ何もかもが決められた生活の方がラクでいい、という人もいるだろう。他人に委ねる生活の方が、自分で決断しなくていい。一方、路上生活者は自分で何もかもやらなければいけない。ソレを苦に思う人もいるだろう。ただ本の鈴木さんのように、自分で工夫して切り拓く生活に愉しみを見出す人もいる。鈴木さんは「この生活は最高だ」と言っている。どっちの生活が良いかは人によりけりだと思う。
そして内田せんせーのツイートにつながる。コレはワタクシも以前書いたコトだけど、結局人はどんな状況・環境に置かれても、その状況・環境において自分なりの幸せを探せれば、ソレが最強であって、そういう人が一番生命力がある。生き延びられる。
だから糸井さんの問いに戻ると、そもそも「罰」だと考えてる時点でワタクシたちは偏ったイメージで彼らを見てる。もちろん刑務所で服役中の人は文字通り「刑罰」を受けてるのだけど、心の持ち様としてね。現にホリエ氏の文章からはあまり悲壮感は感じられないし、この本の鈴木さんも同じように悲壮感は全く感じられない。ワタクシたちが「未知の世界」に対して「恐怖心」を投影してるだけに過ぎないとも言えそうである。
で、ひょっとしたらいわゆる路上生活者が底辺でお金持ちがてっぺんで、というピラミッドの天地がひっくり返るような錯覚を起こす。金持ちて貨幣経済の、資本主義社会というシステムのドレイなのでは、、?と。ワタクシたちは、実はゆる〜く真綿で締め付けられるように「罰」を受けてるようなモノではないだろうか。このシステムの中で。ソレは刑務所の囚人よりも無自覚に。
なんだかクドクなってしまったあるなー。ようするに言いたいコトは「いわゆる路上生活者にもいろんな人がいる」というコト。この本を読むと彼らに対して抱いてるイメージが変わります。「自覚的に生きてる」とも言えるカモしれない。
この本の筆者である坂口氏は、路上生活者に対して全く否定的な視線を投げかけず、路上生活者である鈴木さんのクリエイティブあふれる生活とオープンマインドな人間力に魅せられ、坂口氏の好奇心のワクワク感が文章のあちこちに散りばめられ、興味深くさくさく軽快に読むコトができる。
その4へつづく。