「100%の善」は無い。
ワタクシたちが生きてる限りにおいて「100%コレが正しい」「100%コレは善いコト」というのは無い。
誰かの助けを聞いたなら、手を差し伸べたい自分ではありたいと思う。でもその時「コレでいいのか、、?」という疑問が一瞬頭をよぎる。コレで本当に良かったのか、、?
自分が手を差し伸べたコトが正解かどうかなんて、結局その人の人生が終わるまで分からない。いや、ホトンドの場合終わってからも分からずじまいだろう。たとえその時に100%自分は正しい、最善の行動をしたとしても、後々においてその行動であり選択が必ずしも正しかったとは限らない。
ただ自分が助けを求めてる人に手を差し伸べる時に、その一瞬のひっかかりを胸に感じるコトは大事なコトなんだと思う。ソレを感じながら選択するしかない。
逆に疑問も持たず「100%コレが正しい」「100%コレが善いコト」と信じて疑わない行動をする人は、警戒した方がいい。迷う人の方が信じられる。
本来、「この人の言い分も分かるトコロもあるし、、でもあの人の言い分も分かるし、、」というのが当然なのだ。なかなかモノゴトというのは竹を割ったようにハッキリしないモノだ。わかりにくい。ソレを、強く断言したり見てみぬフリして前しか見ず突き進む、分かりやすい人でありモノゴトというのは、、もう言わずもがなでしょ。
でも人というのは「わかりやすいコト」に飛びついちゃうんだよな。ソレは普段ワタクシたちの日常がわかりづらさにあふれてるからだ。でもソレは当たり前なのだ。わかりづらくて当たり前。