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2011年3月11日の大震災から1年経った。
TVでは去年の震災の特集番組が多く放送されてる。毎日のようにやってるので正直見過ぎると「当たる」。やっぱりあの映像は今でもキツい。でも被災された人たちは、アレが現実だったんだからなぁ。
でも今観ても信じられない。1年前に観た時もCGかと思ったもん。不適切な表現カモしんないけど、お風呂からあふれたお湯みたいな。ザザーっとさ。スケール感がワケわかんなくなってんだよな。「ミニチュアなんじゃねぇの?」とか「特撮なんじゃねぇの?」とか。まるで漫画とかアニメとか、そういう作り物のような世紀末感というか、そんな気分でTV観てたなぁ。でもソコに渦巻いてる混沌とした空気だけが妙にリアルで、逆に恐怖感が増幅されたというか「コレはタダゴトじゃない」感が増してきたモンだよ。
今でもね、地震が起きるとまず気になるのが原発方面ね。今でもソコで懸命に働かれてる方たちがいるでしょ。だからまず震源地が気になる。次に近くに原発がねえか?とかさ。その次に津波はどうだと。大丈夫なのか?と。そのへんが気になりますよ。
だからあの日から変わったのは、地震が起きたらまず原発が気になるコトね。
原発てのも結局は毒まんじゅうなのね。持ちつ持たれずでさ。そういう番組もやってたけど。村や町もお金が無いから毒まんじゅうに手を出さざるをえない。国も推進してきたから国に責任転嫁できるしね。だから東電はあんな事故起こしても未だにウワベだけで中身はまったく反省してないんだよ。とりあえず頭下げとけばいいや、ていう舌出してペロリて感じだよ。「オレらが発電しなくなったらどうすんの?」ていう、いわば電気を人質に取ってるようなモン。だからいつまでたっても上から目線。ここんトコロの構造を何か根本的に変えてかないとダメなんだと思う。
経済界ていうの?あちらはいまだに推進派なんでしょ。ま、お金だけ見てればそりゃそうだよねとも思うけど、コレだけの人が被災して、亡くなられた方もいて、いまだに行方不明の人がいて、多くのモノを失って、放射能を不安に思ってる人たちがいて、いまだに原発収束に向けて被爆しながら働いてる下請け孫請けの人たちがいて、、、ていう数え切れない犠牲を払って、そういう現状をこの1年間目の当たりにして、ソレでもなおかつ「推進」という断を下す人の気が知れないね。そういう人たちは、ワタクシは人間じゃないと思う。よく言えると思うよ。だったらあんたたちが原発の始末してきなさい、あんたたちが住む家にガレキや廃棄物を受け入れなさい、と思う。ワタクシは原発で働いてる人たちの代わりをする勇気はないし、ソレだけの理由だけでも原発に反対します。代わりが出来る人、その覚悟がある人だけが賛成意見、推進意見を言う権利があるとワタクシは思っています。
ねぇ、だって1年経ってまだこの状況でさ、たしかに復旧が進んでるトコもあるけど、してないトコはしてないし、ガレキはまだうず高く積みあがったままだし、風評被害はあるし、政治は政治で何やってんだかでしょ。このテイタラクでまた今回みたいな地震とか事故があったらどうなんのこの国?て思うよ。
そもそもこの地震大国には原発ていう発電方法は合ってないんだと思う。前にも書いたかな?こう言っちゃなんだけど旧ソ連の場合は大陸だから、まだ逃げ場があるワケだよ。でもこの島国で逃げ場がないでしょ?て話。
まぁ、原発についてはこの1年でいろいろ話も出てきてるからこのへんにしとくけど、原発に頼るコトない範囲で、そのくらいの規模の電力でまかなえるような国、であってほしい。
東日本大震災で他界された方のご冥福をお祈りします。そして被災された方、残された遺族の方の心の傷がいくらかでも癒えます様に。
生きている私たちは、私たちの世界にしかない「時間」と「身体」を、楽しんでいきましょう。