四次元的思考。
サイコロは3次元の世界では最大3面しか1度に見れない。おそらく3次元以上の世界、4次元の世界というのは全ての面が1度に見えるのではないか?6面だけではなく裏側の面も全てだ。
ピカソの描く人物像がある。例えば『泣く女』。やや横向きの女性の顔の、隠れた反対側の目も描かれてるが、アレなんかは4次元的な見方だと思う。無理やりキャンバスという平面、2次元に落とし込んでるからああいった絵になる。「子供みたいな絵」とも言えるけど、ある意味子供は3次元世界「外」と結びついてる、とも言える。
いわゆる曼荼羅というのも同じ理屈なんだと思う。曼荼羅の場合は「見える」というよりも、ウワっ!とイメージがビジョンが、圧倒的なエネルギーが脳になだれ込んでくるような感じカモしれない。一瞬で「解らされる」。そのなだれ込んできたビジョンを2次元でムリヤリ表現するから、ああいったこみいった複雑な絵になるのだと思う。
「見える」というのはいかにも3次元的な行為だと思うので、3次元以上の世界では、瞬間的に全てを理解できる・感じる・受け取れるのでは。そのコトが「融合」イコール「常につながってる状態」と同じ意味なのカモしれない。
「サイコロ」に戻すが、ソレはサイコロに限らず「人」についても同様なのでは?
人(もちろん「人」じゃなくてもモノゴトデキゴト何でも)のある1面だけを捉えて「この人はこういう人」とか判断するのは「1面だけ」でしか判断していないのだから、2次元的な見方=二次元人、と言えよう。だから「次元が低い」と言う言葉の意味そのまま通る。いわゆる二元論的な思考も二次元的思考と言えよう。白か黒か。1つの点ともう一方の点で線になるがソレは二次元の世界だ。モノゴトにはグラデーションがある。
人のある1面だけをクローズアップして短絡的に捉えず、「この人にはあんな面もあるこんな面もある」とさまざまな角度から多面的に捉えて理解する・しようとするコトが、まず3次元的な見方である。この世界は3次元世界なので、実際は自分が動くなり対象を動かすなどする必要性があるし、目で見る視覚以上に五感六感を駆使して感じ取るしかないが、そういった行為であり姿勢、「見えないモノも見ようとする」思考が4次元的思考に通じるのだと思う。