過去があるから今がある。石(意思)が積み重なってココにいる。
ムダなコトは1つもない。未来とは「今」の連続である。

へたな鉄砲数打ちゃ当たる。へたでも打たなきゃ当たらない!をモットーとする
かたことの極私的「雑誌系」サイトです。(since 2004 Feb.)

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 やぎ本。⇒本が大好物なやぎのぢぇーむすくん(a.k.aかたこと)がオーガナイザーを務めるやぎの本棚、略して「やぎ本」。本や本にまつわる情報の紹介。神出鬼没でごくまれに登板します。
 ◇最新本◇  今年(といっても2021年だけど、、)読んだ本。後編 

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 Everyday39(エブリデイ・サンキュー)⇒katakoto cafe、やぎ本。につづくかたこと第3の架空のブランド。かたこと流に「毎日が楽しくなる」新たなアイデアを加えたグッズ関係のブランドです。
 ◇最新グッズ◇  『靴箱→ファイルボックスへトランスフォーム!』 

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 祝☆overcoat’s(オーバーコーツ)再結成記念!!  ワタクシが検索しやすくするため(笑)overcoat’sについて書いたブログをまとめて読めるようにしました。ブログタイトル下のカテゴリー「overcoat’s」をクリックしてね~☆
 ◇最新ブログタイトル◇   『Overcoat's(オーバーコーツ)21年ぶりの新アルバム!『9 numbers,Groovy!』を聴いて。♪♪その5♪♪』 

点と線。

モノスゴク子供みたいなコト思いついたんだけど、いわゆる点とか線てのは、ワタクシたちは「ある」「存在してる」と考えてるよね。
たとえば鉛筆とかで点や線を描いてみる。ソレはワタクシたちからすれば、まー誰が見ても点であり線だけど、ひとたびコレ虫とかの目線になってみると、鉛筆で描いた点は「視界一面黒々とした『面』」だと思うし(いや、もっと粒子が粗いはずなので紙の白と黒のまだら模様なんだろうけど)、線もコレまた「幅広い真っ黒な道」みたいな感じになると思うんだよ。ようするに虫目線的にはどちらも「面」なワケだ。
コレどんだけちっちゃな点、ほっそい線を描いたとしても、もー細菌とかウィルスとかバクテリアからすれば、とんでもなくでっかいモノだよな。鉛筆じゃなくて針でつっついて点つくったり、線をけがいたとしても、細菌とかウィルスとかバクテリアからすれば、点はでっかい「穴」であり、線は「断崖絶壁」「峡谷」だったりする。もうソレは「点」とか「線」とか呼べるレベルじゃないと思うんだなー。
ソレでも「点」とか「線」てのが存在するというなら、ソレは人間には認識できない大きさ、なんじゃないかなあー、、、とか考えちまったんだよ。そうすると「点」とか「線」てのはこういうモノだとか、言葉としては言えるし成り立つけど、人間が認識できないとしたら、ソレは無いのと同じなんじゃないかと。
あと過去と未来の間を「現在」「今」なんてワタクシたちは言葉としては言ってるけど、果たしてソレは本当に「在る」モノかと。存在するモノかなー?とかも思ったり。「瞬間」とか「刹那」なんて言葉はあるけど、「在る」としてもソレはそんな言葉よりもっと限りなく「ゼロ」に近いよねー。
ようは過去と未来の「境目」を便宜上「現在」とか「今」と言ってるに過ぎないんじゃないかと。ソレを「線」もしくは「点」と称するコトもできるのカモしれないけど、ソレは単独では成り立たない。過去と未来があってこそ、その境目=現在、今が存在する。
在って無いようなモノだ。ワタクシたちが「線」とか「点」と言ってるモノは、実のトコロ「断面」でしかない。どこまでいっても「面」なんだよ。
するってぇとワタクシたちがいちおう定義してる1次元とか2次元とかてのも、はたしてホントにそうなのかー?と思ったり、、。ようは「点」とか「線」てのも3次元人であるワレワレの「3次元的な視点であり考え」でしかないんじゃないのかなー、、。
たまにはこんなんもいいでしょー(笑)。