点と線。
モノスゴク子供みたいなコト思いついたんだけど、いわゆる点とか線てのは、ワタクシたちは「ある」「存在してる」と考えてるよね。
たとえば鉛筆とかで点や線を描いてみる。ソレはワタクシたちからすれば、まー誰が見ても点であり線だけど、ひとたびコレ虫とかの目線になってみると、鉛筆で描いた点は「視界一面黒々とした『面』」だと思うし(いや、もっと粒子が粗いはずなので紙の白と黒のまだら模様なんだろうけど)、線もコレまた「幅広い真っ黒な道」みたいな感じになると思うんだよ。ようするに虫目線的にはどちらも「面」なワケだ。
コレどんだけちっちゃな点、ほっそい線を描いたとしても、もー細菌とかウィルスとかバクテリアからすれば、とんでもなくでっかいモノだよな。鉛筆じゃなくて針でつっついて点つくったり、線をけがいたとしても、細菌とかウィルスとかバクテリアからすれば、点はでっかい「穴」であり、線は「断崖絶壁」「峡谷」だったりする。もうソレは「点」とか「線」とか呼べるレベルじゃないと思うんだなー。
ソレでも「点」とか「線」てのが存在するというなら、ソレは人間には認識できない大きさ、なんじゃないかなあー、、、とか考えちまったんだよ。そうすると「点」とか「線」てのはこういうモノだとか、言葉としては言えるし成り立つけど、人間が認識できないとしたら、ソレは無いのと同じなんじゃないかと。
あと過去と未来の間を「現在」「今」なんてワタクシたちは言葉としては言ってるけど、果たしてソレは本当に「在る」モノかと。存在するモノかなー?とかも思ったり。「瞬間」とか「刹那」なんて言葉はあるけど、「在る」としてもソレはそんな言葉よりもっと限りなく「ゼロ」に近いよねー。
ようは過去と未来の「境目」を便宜上「現在」とか「今」と言ってるに過ぎないんじゃないかと。ソレを「線」もしくは「点」と称するコトもできるのカモしれないけど、ソレは単独では成り立たない。過去と未来があってこそ、その境目=現在、今が存在する。
在って無いようなモノだ。ワタクシたちが「線」とか「点」と言ってるモノは、実のトコロ「断面」でしかない。どこまでいっても「面」なんだよ。
するってぇとワタクシたちがいちおう定義してる1次元とか2次元とかてのも、はたしてホントにそうなのかー?と思ったり、、。ようは「点」とか「線」てのも3次元人であるワレワレの「3次元的な視点であり考え」でしかないんじゃないのかなー、、。
たまにはこんなんもいいでしょー(笑)。