次元について。
ワタクシの好きな方のつぶやきで「なるほど〜」と気づいたコトがあるのだけど、念のためコレから書くコトはその方をクサしたりその方の考えを否定するような目的のモノではない、と書いておきます。つぶやきをきっかけにして考えがいろいろ展開したのであります。
で、その方がある方と会って、用事も済んだ後ある方が「この後予定ある?」と聞いたそうです。このへんの会話の内容は事細かには書かないけど、ある方の問いに「ある」と答え、その返事に対して「じゃあ楽しんできてね」とか「頑張ってね」とか。会話としてはコレで1センテンスというか、普通に成り立ってる普通の会話ですよね。
「予定ある?」→「ある」→「そう。頑張ってね」または「楽しんできてね」
普通です。
でもこの会話、問いに対して「いいえ」の場合もありますね。もしかすると
「この後、予定ある?」→「ありません」→「じゃあ、ちょっと家に寄らない?」または「じゃあちょっとつきあって欲しいトコロがあるんだけど、、」
などなど。いろいろ考え付きそうだけど、「ある」では無かった「その先」が「あったカモしれない」。ソレをワタクシたち「パラレルワールド」なんてコトを言ったりもしますけど、この3次元世界だと、その「あったカモしれないその先」は「見えない」ワケですね。出会えなかった世界。
先ほど書いた一連の会話を、こういったネットなど文字にすると、文字というのは平面上に書いてるので「2次元」ですから、3次元→2次元、に落とし込まれてる。するとどういったコトが起きるかというと、ある方の問いをした時の「顔の表情」や「言い方」「言葉のニュアンス」が文字上では読み取れない・抜け落ちる、というコトになります。コレが1つの気づき。
だからネットの文章とか読む場合に、表面的な字面だけで衝動的に反応しない、と。「もしかしたら書いた人は別の意図で書いてるのカモしれない」とか抜け落ちてる部分に考えを巡らせてみる。そうすれば誤解とかムダに傷つかないで済むカモしれない。どうしたってニュアンスとか伝わらないでしょ?日本語はあいまいだし、だから日本だと絵文字が発達してるワケだ。アレで微妙な表現を補ってるんだよな。
で、逆もあって「俳句」とか「絵画」というのは、文字と絵という2次元上に表すモノだけど、ソコに世界が広がる、でもまぁあくまでイメージ上での広がりに過ぎないんだけど。コレは余談。
ワタクシは思考とかイメージてのは3次元以上のモノ(4次元としてもいいけど)だと考えてるのね。ソレを声に出して会話すると3次元。空間使った伝達だからね。平面上に表せば2次元。そういう具合に我々は落とし込んでる。だからソレによって抜け落ちる=「見えない」部分が生じる。
月て表側は見えるけど裏側は見えないでしょ。裏側を見ようとしたら、月をぐるんと回すか、自分が裏側に移動しないと見えない。コレは3次元の見方。4次元てのは瞬間的に、いや、もう瞬間ていう言葉以上にあっというまに、全体が見える。ようするに3次元てのは「時間」が常にかかるワケです。
光の速さ、光速つっても星なんか何百万光年だったら、何百万年かかって現在のワタクシたちの目に届いているて言うんでしょ。そんなチンタラしたモンじゃなくて(笑)つまりは全て「イメージ」なんだと思うんだね。イメージすればその直後にはもうすでにイメージした場所に行けたりとか(どこでもドアのように)、コミュニケーションの方法もイメージの受け渡し。言語変換せずにダイレクトにイメージを共有できる。
「時間」ていう概念は3次元特有なモノなんじゃないかな。過去も未来も無いんだよ。全てが同時に存在してる。あとはイメージすればどこにでも行ける。
参拝する際にお願いゴトをするでしょ。その時にひょっとしたら言葉でお願いゴトするより、絵づらをイメージした方がより伝わりやすいのカモしんないね。