人生は仮住まい。
『JIN』再放送なう。本来のテーマとか伝えたいコトとはちがうとは思うんだけど、主役の大沢たかお氏の役を見てると「人生は仮住まい」とも思える。
彼の本籍は平成の現代でしょ。でも何故か江戸時代に存在する自分。「平成の現代が本籍」と分かってるから、江戸時代にいる自分は他人に対して何のしがらみもなく、優しくできる。優しくなれる。もちろん良い面悪い面はあるけどね。「責任が無い」てコトだからさ。地に足が着いてないというかね。でもいかに現代の現実を生きるワタクシたちが、いろんなしがらみや感情に縛られてるかと、、。コレが「自分に執着してる」というコトなんだよな。江戸時代にタイムスリップした彼は、その時代にもその時代の自分にも執着してないんだよな。だからシンプル。もちろんストーリー上、未来である平成の彼女を助けたいていうのがあるけど、ソレを除けば。
だから時には自分への執着を少しやめてみて客観的に、俯瞰的にモノゴトを考えてみるといいのカモね。前に「自分を『他人事』だと思ってみる」て書いたけど、こういうコトなんだよ。
このドラマは過去へのタイムスリップだけど「外国へ旅に出る」てのも同じコトだと思う。違う価値観の中に自分を置いてみる。「今までの引き続きの自分」が通用しない世界。だからいろんなしがらみや先入観、余計なモノをとっぱらってシンプルな自分になれる。そういう状況の中で自分がどういう反応をするのか?とか日々の生活の中で忘れてたシンプルな自分の姿を改めて確認したい。ソレが「自分探し」の1つでもあると思うんだよね。1回着てる鎧を脱ぎ捨てる。改めて素の自分と出会う。旅の効用てそういうモノだと思うよ。
1度殻を脱ぎ捨てて、自分「外」に出てみる。自分を外から見てみる。客観的に見てみる。そうするコトで自分の全体像とか、中にいたら気づかなかったコトが見えてくる。再び自分「内」に戻った時にはもう自分の輪郭、自分というのはどういうヤツなのかをハッキリ把握してるから動ける。
「自分の肉体は仮住まい」という感覚なら、執着もソレほど強くなく、他人に優しくもできるんじゃないだろうか。ソレが「人生は短かい」というコトの本意なのではないだろうか。「人生短かい」と思っていれば、他人をいとおしく思い、優しくできるのではないだろうか。
ワタクシたちは、土地土地を渡り歩いてく遊牧民のようなモノなのだ。