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金メダルの丸かじり。

テレビでさんざんやってる話題なので、このブログにまで書いて「お目汚し」するのもどうか?と思うのでそういう話題はあえて避けてるんだけど。もう耳にタコでしょ?でもこんな東海林さだお氏の丸かじりシリーズみたいなタイトル思いついちゃったからしょーがない。書かせて笑。

oisiso.com

リンクすら貼らずあえてぼやかして書くコトにするけど(まーさんざんテレビでやってるからわかるでしょ)、某N市のK市長が、五輪で取った金メダルをかじってしまい、そのコトについて謝罪したという件。

まぁコレはワタクシも、テレビで某K市長がやおら金メダルをかじりだしたシーンをみて不快に思ったワケだけど、何がこんなに不快にさせるのだろうか。

もちろんこのご時世だから不衛生、というのが1つ。子供がマネしたらどうするの!とかあるだろう。あとせめて本人の承諾をとってから、というのもある。でも「かじっていい?」と聞かれても返答に困るけどさ笑。あと選手へのリスペクトに欠ける、というのもある。ただソレ以外に一番大きい「不快」があるなー、と。ソレは彼の「時代感覚のズレ」である。人々は、この「ズレ」を見せられたコトに不快を示したのではないだろうか。

まず歴史を辿ると、金メダルの「かじり初め」はたぶんQちゃんこと高橋尚子嬢からである。彼女はシドニー五輪の女子マラソンで金メダルを取った。たしか「楽しい42.195kmでした」などとゴールを切った直後の感想コメントで彼女はそう言い、メダルの授与の際、マスコミから一斉にカメラのレンズを向けられたなかで、やおら今授与された金メダルをかじった。ソコからその五輪期間中、メダルを授与された(主に金メダリストだろうけど)選手は「メダルかじり」がブームになった。自ら積極的にやった選手もいれば、マスコミに求められてやった、という選手もいるだろうけど。

ラソンという競技は、彼女の出現までワタクシは非常にツラい競技だというイメージしかなかった。ここのシドニーの4年前、1996年アトランタ五輪で女子マラソン有森裕子選手が銅メダルを取った。その際に彼女が言った「自分で自分を褒めたい」という言葉も流行語になったが、つらく苦しく今にも泣き出しそうな顔でのコトだった。悲壮感すら漂っていた。20世紀という時代を象徴してたかのように、今は思う。

しかし時は流れて21世紀になり、『LOVE2000』を聴きながら、楽しげな笑顔で、今走ってきた長い道のりを「楽しい」とコトモナゲに言い放ち、さらに自分が貰った金メダルを「かじる」という行為までして見せるというのが「時代が変わったなあー、、!」という感じに溢れていた。コレまでのいろんなモノゴトが彼女の笑顔の奥の遠くに過ぎ去っていった。ソレくらい高橋尚子選手の出現には新しい時代の訪れと感覚が感じられたのだ。その象徴的な意味合いとしての「金メダルかじり」なのである。今までの古い権威をぶっとばせ!的なROCK感、アンチテーゼ的な感覚も、その行為には感じさせた。

前置きが長くなったが、ソコで某N市のK市長である。この人は「ザ」が付くくらい「昭和」丸出し、という感じの人物だ。フレンドリーで親しみやすいNのおっちゃん、という印象。ソレを本人自らキャラ設定してるフシもある。そして良くも悪くもソレがウケて今までやってきて、こうしてこの「N市長」という椅子にまで昇りつめるコトができた。ようするにこのキャラでの成功体験が彼のアイデンティティーを作っている。ある意味「芸」なワケだ。その「芸」がずーーとウケている、今までウケ続けている、と思っている。たしかに選挙で支持されて市長になっている。彼に票を入れた人は、その彼のキャラに票を入れたではないのだろうか?彼がフレンドリーでしたしみやすいおっちゃんキャラだから、支持したのではないか?今まではソレで通用したのカモしれないが、ココへ来て悪い方向に出てしまった、というコトなのだと思う。

彼自身はサービス精神が旺盛で、金メダルかじりも彼のサービス精神からくる行為だというのは容易に想像できる。だって彼Kは「フレンドリーで親しみやすいNのおっちゃん」なのだから、ココでメダルかじっとくか!てコトになる。ソレでどっかーんとウケて場が盛り上がって、、という、そういう思考回路だったんだろうが、まずその行為を本人以外、ソレも権威側の人がやる意味が分からないし、何より、この昭和丸出し感の人の時代認識・感覚のズレと、そのズレを自覚してない感を我々がまざまざと見せつけられてる、ソレがこの不快感の一番大きい部分なのだとワタクシは思うのだ。

で、当のK市長といえば今回の件で、今までコレでうまくいってた何もかもウケてた!と思ってた自分のアイデンティティーが、一気にはしごを外された気分になって、反省より何よりそのコトが一番のショックだったりするんだろうなーと思う。今回の件は、彼のアイデンティティーの否定=彼自身の存在否定につながるから。世間は彼に対して「NO!」を突きつけたというコトだ。

しかしこういう笑いのセンス・感覚的なコトて他人がどうこう言えるコトではない。面と向かって「あんたおもしろくない」とか言えるワケが無いでしょう笑。「センスが無い」とか。別に権力のあるなし、まわりがYESマンだらけとかそうじゃないとかに関わらずね。だから自分で気づくしかないんだよね。こう書いてるワタクシだって、もう今の若者の感覚とはズレてるワケで(たぶんそうだろう)、たぶん30代になったら「もう自分の感覚は古くなってる」と意識するコトは必要なのかなとも思う。とくに公の場に出る人は「今の時代の感覚」みたいなコトを意識的に勉強しないといけないのカモしれない。ただソレが行きすぎて「若者に好かれたい」みたいになるのもアレだが笑。ソレができない人は、こういう場で大ポカをし、結局支持されず時代に取り残される、てコトになるんでしょうな。