過去があるから今がある。石(意思)が積み重なってココにいる。
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愛とはなんぞや!?

昨日はパソコンやりながらTVのリモコンをイジってたら、たまたま『嫌われ松子の一生』をやってたので、ワタクシは未見だったからそのまま観た。途中からだから後半1時間弱ぐらいしか観てないんだけどね。
たぶん榊監督は、あの刑務所から出てきた男かな?で松子が待ってから雪を投げつけるていうね。シャバに出てきたはいいけど地獄が待ってた!みたいな。全部観てないからその「恐怖」の理由がよく分からないんだけど。
う〜んでもこの作品を観ると、こっから『告白』も出てくるてのは分かるね。最後、少年の鈴を揺らした場面とか、ああーこの監督なら「ラムネ」が出るねと思った。同じ監督の作品なんだよね。中島監督。
愛てなんぞや!?てコトだよな。結局振り回されるでしょ。普段ワタクシたちが「愛」て口にする時、良いイメージでしか使わないと思うけど。「愛」「人間」「言葉」「自然」、この4つに人は翻弄されるよね。翻弄されるというのは求めてもいるからなんだよな。だから抗おうにも抗えないというか。「業」というヤツだよな。
でも観終わって思ったのは、こう人の一生というか、松子という人物の一生を観たワケだけども、本人はツラい人生だと思うんだけど、あの「おばさん」と言ってる少年の気持ちもそうであるように、なんだか松子がいとおしい、そういう気持ちにさせられるよね。翻弄されてる姿がいとおしいじゃない、ていう。その優しい視線というか、神様的な俯瞰的な見方ていうのが本当の愛、なんじゃないのかな?
まぁ分かりやすいから「神様的」ていう言葉で表現してみたけど、ようするに俯瞰的なんだよ。親子とか密着してる、距離0の状態じゃなくて、も少し距離を置いた、言ってみればお釈迦様の手のひらで松子が七転八倒して、ソレを上からお釈迦様が見てる、みたいなそんなイメージ。ソレが愛だと思うよ。寛容なんだよな。執着してないんだよ。親子は執着してるじゃない?ソレが良い悪いを言ってるんじゃないよ。しょうがないコトだし。でも距離が近いとソレを奪われた時傷つけられた時にモンスター化しやすい。モンスターペアレントとかな。この作品を観てる人の目もきっとそういう優しい目で松子を観てるんじゃない?で現実に戻って、たぶん他人に対してもそういう目で見てあげればいいんじゃないの。そういうフィードバックね。
あとラストの、おそらく監督の「死」のイメージなんだろうけど、「死」がああだったらいいよね。なんか祝福されてる感じじゃない。
死ぬ間際になってようやく松子の求めてたモノが現れたというか。向こうの世界が「想いが現実になる」世界なら、まさにコレはそういうコトだよな。ようするに現世界の三次元的な隔たり・障害が全くなく、想い描いたモノが100%現れるという。松子の潜在意識とかそういうトコからあふれ出たイメージだろうな。意識ていうタガがはずれるワケだから。死に向かうてコトは意識が遠のいてくてコトでしょ。意識の統御から外れてくんだよ。魂が解放されてくんだよね。その解き放たれ方があの映像、だよな。そしてみんながやがて1つのトコロに帰る。戻るべき場所であってね。
『告白』の時も思ったんだけど、こういう映画てあった方がいいよね。松子みたいなどん底人生よりはまだマシだ、て思えるじゃない。『告白』だって、復讐したらこういう風になるんだ、ていうシミュレーションができるワケで、代わりにやってくれてるワケだよ、作品の登場人物たちが。現実に復讐したいと思ってても、いざやってみてもやるせない気持ちになるだけだろうな、とか分かるワケだよな。そうするとそっから前向きになるでしょ、人生が。ソコに(過去に)執着してないで前を向いて歩いていけるじゃない。この監督はそういうメッセージを作品に込めてるような気がするんだよな。