過去があるから今がある。石(意思)が積み重なってココにいる。
ムダなコトは1つもない。未来とは「今」の連続である。

へたな鉄砲数打ちゃ当たる。へたでも打たなきゃ当たらない!をモットーとする
かたことの極私的「雑誌系」サイトです。(since 2004 Feb.)

★My Favorite★

ガンダム・プロレス(スターダム・新日本etc)・クルマ・和(いずみ ex. 榊いずみ/橘いずみ) ・overcoat’s(オーバーコーツ)・中村 中・所ジョージ・内田樹・椎名誠・津村記久子・放浪息子(志村貴子)・押見修造・ひらやすみ(真造圭伍)・ディックブルーナ・ヨシタケシンスケ・nice time cafe・COFFEA EXLIBRIS・HORIGUCHI COFFEE (順不同敬称略)

★Book Review★

 やぎ本。⇒本が大好物なやぎのぢぇーむすくん(a.k.aかたこと)がオーガナイザーを務めるやぎの本棚、略して「やぎ本」。本や本にまつわる情報の紹介。神出鬼没でごくまれに登板します。
 ◇最新本◇  今年(といっても2021年だけど、、)読んだ本。後編 

★Original Goods★

 Everyday39(エブリデイ・サンキュー)⇒katakoto cafe、やぎ本。につづくかたこと第3の架空のブランド。かたこと流に「毎日が楽しくなる」新たなアイデアを加えたグッズ関係のブランドです。
 ◇最新グッズ◇  『靴箱→ファイルボックスへトランスフォーム!』 

★Others★

 祝☆overcoat’s(オーバーコーツ)再結成記念!!  ワタクシが検索しやすくするため(笑)overcoat’sについて書いたブログをまとめて読めるようにしました。ブログタイトル下のカテゴリー「overcoat’s」をクリックしてね~☆
 ◇最新ブログタイトル◇   『Overcoat's(オーバーコーツ)21年ぶりの新アルバム!『9 numbers,Groovy!』を聴いて。♪♪その5♪♪』 

ニュートラル。

世間は通常モードになったんでしょうか。今年は三が日が終わってすぐ通常営業なので、なんかね、もうあと2日ぐらい間にはさむといいんだろうけどね。その2日間でこう、正月気分を抜き〜のみたいな感じで通常営業に臨む、という流れの方がいいと思うんだけど、今年はなんか突然という感じで切り替えなきゃいけない。まだ正月気分が抜けきらない人も多いんじゃないんでしょうか。
ワタクシは元日は、あの後10分ぐらい歩いたトコロの富士山の見える(といっても頭がちょこっと見えるだけ)スポットへ行って「おー、やっぱこう迫ってくるような存在感があるよなぁー」などと思いながら初富士を拝み、2日は仕事始め、3日に家の向かいにある神社へ今年も初詣に行ってきた。
何回もココでは出てくるけど、家の向かいにあるこの神社。といってもワタクシが神社の境内へ上がるのは秋祭りと初詣の年2回。まぁ考えは人ソレゾレだと思うけど、ワタクシは距離に関係なく神社とかそういうトコロは、そんなにホイホイ気軽に行くようなトコロだとは思ってないので、何かがこういう行事のある時にしか行かない。別に行きたい人は行けばいいと思うけど、ワタクシはそういう考え。
ちゃんと自分なりに身だしなみを整え、幾分緊張しながら謙虚さと畏怖の念を抱きつつ鳥居をくぐる。境内へ続く階段というのはこの世とあの世をつなぐモノなんだそうで、1歩1歩しっかり踏みしめながら上る。上りながらその間、できるだけ余計なコトを考えないようにする。雑念を取り払い自分の存在がただ「在る」状態にもってく。あの世へ行くんだから、たぶんそういう感じじゃないといけないんじゃないかと最近ワタクシは思っている。俗世のコトは一時置いてくる、といった感じで。
境内へ上がると3日でも日曜だからか人がソレなりにいる。ひしゃくにお水をすくい手を洗い清める。前の人が参拝を済ますのを見届け、準備したお賽銭を静かに差し入れる。鈴を鳴らして二礼二拍。この二礼二拍にはソレゾレちゃんと意味があるんだそうだ。そして特に何を祈るワケでもなく、ただ気を通すコトだけに専念してると、何やら頭から吸い上げられてるような、ワタクシはたぶん煩悩なんじゃないかと思ってるんだけど(笑)煩悩が吸い取られる感覚があって、拝んで一礼した後、頭がスッキリした感じになった。なんかニュートラルになったような。たぶんニュートラルに調整してくれたんだと思う。
ワタクシが最近会得した技というのが(笑)、ほら、冬だから寒いじゃないすか?だから筋肉が吊りやすい(笑)。「うっ、、吊ったー」とか言って「くぅぅ〜」とか苦痛に耐えながらまぁ患部をさするわね。その際、早く治れ〜とか思ってるよりはただ気を通す(あくまでイメージね。イメージを思い浮かべる。)方がより通りがいい感じがしたのね。で、実際の「治る」方はカラダが勝手にやってくれる、と。カラダが気を利用して勝手に調整してくれればいいんであって、こっちは特に治れとか思う必要はないのかな、と。カラダは元の正常な状態(ニュートラル)に戻ろうとする。バランスを取ろうとする。自己治癒力というのがカラダには備わってるだから、ソレに何かきっかけというか刺激・材料を与えるだけ、というね。ソレを今回、参拝に応用してみたというワケ。
別に悪いコトじゃないよ。でもたぶんノイズになるのね、何かを願うというのは。良いコトだろうが何だろうがソレは「欲」だからさ。良い悪いというのはあくまで主観的な見方であって、人間的に良くても他の生物にはどう?とかあるワケでしょ。他の動物にとっては意味なんかないとかそういうのはいくらでもあるコトで。
だからそういう雑念になるような観念は取り払う。で、ただ自分が在るがままの存在として、なるべくまわりにカラダを解放するような形で(あくまでイメージ。まわりと調和するような、まわりの自然や空気と一体化するようなイメージ。)ただ念というか自分の気を通す。念ずる、といっても何か具体的な言葉、言語的なモノではなく「気を通すゾ!」と力を入れて念じるワケでもなく、ただパワーを送るようなイメージを頭にぽわんと思い浮かべる。そうすればさっきの筋肉が吊った話じゃないけど、何かあってもうまいコト調整してくれたりするんじゃないだろうか。
ただ私利私欲で願ったり祈ったりしてるだけじゃダメだと思うんだよね。何かを願う前にまず滞りを無くそう、という感じ。そのためのまわりとの調和であったり。じゃないと願いもうまく伝わらないんじゃないかなあ、とそんな風に思うな。あくまでワタクシの考えであって、ソレが正しいかどうかは責任も持たないし分からないよ。ただワタクシは最近こう考えていて、ソレを実践してみたってだけのコト。たぶん瞑想もこんな感じなんじゃないの。だからこう、頭がスッキリしてニュートラルな感じになったのかな。ソレを神社のような「パワーのあるトコロ」でやると、やりやすいてコトなんじゃないかな。やっぱりまわりの自然とかのエネルギーの集まってるトコロだから。