土着の味。
今年10月に発売されるというミシュランの京都・大阪版が、何かと物議をかもしてるらしい。
そういう記事を読んで、ワタクシも思ってたコトと同じだったりしたのだけど、「お店の料理の味」てのは各お店を横一線に並べて、一概に比較できない面もあると思うんだよね。よく「ココの店の料理は、たぶん世間一般ではおいしいとは言えないのカモしれないけど、なんか食べたくなっちゃうんだよねぇ〜」とかそういうのてあると思うんだよね。いわゆるB級グルメなんていうのもその範疇だと思うんだけど。
例えば分かり易いから名古屋とか出すけど、まぁあそこはいろいろハタから見れば奇異な料理がたくさんあるワケでしょ。で、味も理解できなかったりするのもあったりして。まー名古屋に限らずだけどね。でも名古屋の人にとっては、昔から食べてるから「うみゃーでいかんわ」となると。
コレをもっと究極的に言うと「おふくろの味」てのがある。たぶん世間一般では「マズい」と分類される、であろうコトもなんとなーく自分では分かってる。分かってるんだけども、オレ好きナンダヨナァーー!みたいな味てあるワケじゃないですか。他人が食べたらおいしくない。でもその人にとってはおいしい、コレしかない!という味。
そういう例えばその料理に対しての想いとか歴史ていうのは、ミシュランには掲載されないワケですよね。
たぶん本場のフランスでは、歴史とか風土とかも加味して評価してる・できるんだと思うんだけど、日本でしかも京都とか大阪ていうのは、歴史とか土着の気質が強いでしょ。そういうのが分からんヨソもんになんやかんや言われてタマルカ!てのが地元の人にはあると思うねー。
コレは掲載拒否したお店の言い分でもあるけど、特に京都なんて「一見さんお断り」ていうお店が多いんでしょ。紹介された人のみがそのお店に入れると。まぁコレはお客さんの囲いこみだけど、その分お店とお客さんの結びつきが強いワケで、そういう関係性で成り立ってるお店も多いと。結びつきが強いから「微に入り細に入りのおもてなし」ができると。ソレを1回2回お店に行った程度で評価するな、とそういう言い分。
やっぱり料理てのはソコでしか、その地域でしか成り立たない料理、てあると思うんだよねぇー。ソコの風土と時間と空気でつくられた料理、長年営業してるもはや街の風景と一体化してる店とソコの料理、そういうのはソコで育っているモノなんだから他と比べようがない。
ただもちろんミシュランに賛成する人もいるワケで、「自分の料理を世界の人に知って欲しい」とか、そのためには「ミシュランで3つ星」と評価されれば、もーコレは世界的な権威があるから「そのお店はたしかなお店」と評価されるのであって。拡大思考とでもいうか、そういうワールドワイドな視点に立って料理を作ってる人にとってはいいんだろうけど「ウチは地域密着で共同体を大事にしてる」というコミュニティ重視の姿勢の人にとっては必要ない、むしろ迷惑となると。
ミシュランに掲載されたコトで、一時的に店にお客さんが殺到して営業に差しつかえるとか、電話の応対で営業がままならないとか、ミシュランを見てやってきたお客さんが今までのお店の雰囲気を壊すとか、今まで来てくれてた常連さんが離れたとか、そういう弊害もあるらしい。そういうトコロまでミシュラン側は責任を取らないのカナ?とも思う。世界的な権威があるのだから、掲載する際にそういうコトまで取り決めてから掲載するなりすればいいのに、後はほったらかしじゃマズいんじゃないのかなー、と思う次第であります。