状況を打破してく人。
木曜に出た『R25』に内田樹(たつる)さんの文が掲載されてた。内田さんは最近なんとなく注目してるのだけど、この『R25』の文はワタクシが思ってて言語化できてなかったコトを、みごとに言語化してくれてる。
ブレイクスルー。ワタクシはコレは子供が大人になる「通過儀礼」だと思う。真の自立。年齢は関係ない。50だろうが60だろうがこの儀礼を通過してない人は多いのではないかと思うトコロもある。保守的で抜けきれてない。ココロが自立できていない。
ブレイクスルーするためには、最近よく言われる「根拠の無い自信」というのが必要だとワタクシは思ってる。コレはそもそも根拠が無いんだから、言葉で説明しろというのもムリな話だ。よって説得力なんてない。左脳じゃなく右脳的なのだ。なんとなく自分は「コレが自分の進むべき道なのではないだろうか?コレが自分にとって正しいのでは?」という、嗅覚とも言えるような感覚。ソレをムリヤリ言葉にしようとすると、口から言葉が放たれるたびに嘘になる。自分ではそんなコト思ってないんだから。自分の「根拠のなさ」とズレが生じる。そういう時はまわりがどうこう関係なく理解も了解も得ず、ただひたすら自分の勢いにまかせて行動するしかない。行動するコトでやっと目に見える形になるのだから「自分はこういうコトをやりたかったのだ」と、ソコでやっと自分以外の他人に伝えるコトができる。よって事後報告でいいのだ。
あと想定内の不幸。「不幸を想定するとそちらに引き寄せられる」という箇所。コレはワタクシもずっと思ってるコト。だからネガティヴシンキングもほどほどにした方がいいし、根拠の無い自信が必要な理由でもある。内田さんが言うように全く考えないようにはできないとは思うけど。100%楽観はできないし、どうしてもネガティヴな考えは芽生えてしまうよね。不幸を想定した方がいざその通りになってもショックが軽くて済むよねていう、エアバッグ的な保険をかけてるだけなんだよね。前にも似たようなコト書いたけどね。
でもコレは逆に言えば「不幸を想定すると想定した不幸が現実になるのなら(引き寄せられるのなら)、幸福も想定すれば現実になるんじゃないの?」というコトだよね。なんで想定する不幸ばっかり信じて、想定する幸福は信じられないのだろうか?ソコのパワーバランスて取れてるんじゃないかなぁーとも思うけど、、。でも、そうは言ってもなかなかねぇ(笑)。
ソレにしても、いわゆる団塊世代の人ならではだなぁーと思う。アグレッシブというかパワフルというか、生きるコトに積極的な考えを持ってるというか。
ワタクシの親は厳密に言えば団塊世代には当てはまらないらしい。団塊の世代の「1つ上」らしいのだ。16の時から東京にでて働いてる会社人間という環境もあるんだろうけど、超保守的だよ。で、こういう超保守的な人は内田さんのような文章を読まないてコトだな(笑)。他人の考えを取り入れようという姿勢が無いんだから。だからこういう文を読んでる・読もうとしてる人はまだ望みがあるし、そもそも「そっち側」の人間なんだよ。ホントは頑固で超保守的な人が読んでこそ意味があるのに。