過去があるから今がある。石(意思)が積み重なってココにいる。
ムダなコトは1つもない。未来とは「今」の連続である。

へたな鉄砲数打ちゃ当たる。へたでも打たなきゃ当たらない!をモットーとする
かたことの極私的「雑誌系」サイトです。(since 2004 Feb.)

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 やぎ本。⇒本が大好物なやぎのぢぇーむすくん(a.k.aかたこと)がオーガナイザーを務めるやぎの本棚、略して「やぎ本」。本や本にまつわる情報の紹介。神出鬼没でごくまれに登板します。
 ◇最新本◇  今年(といっても2021年だけど、、)読んだ本。後編 

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 Everyday39(エブリデイ・サンキュー)⇒katakoto cafe、やぎ本。につづくかたこと第3の架空のブランド。かたこと流に「毎日が楽しくなる」新たなアイデアを加えたグッズ関係のブランドです。
 ◇最新グッズ◇  『靴箱→ファイルボックスへトランスフォーム!』 

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 祝☆overcoat’s(オーバーコーツ)再結成記念!!  ワタクシが検索しやすくするため(笑)overcoat’sについて書いたブログをまとめて読めるようにしました。ブログタイトル下のカテゴリー「overcoat’s」をクリックしてね~☆
 ◇最新ブログタイトル◇   『Overcoat's(オーバーコーツ)21年ぶりの新アルバム!『9 numbers,Groovy!』を聴いて。♪♪その5♪♪』 

君たちがいて、僕がいる。後編

 「人間は自分が望むものを他人に与えることによってしか手に入れることができない」(byレヴィ=ストロース)『私の身体は頭がいい』(P153)著者:内田 樹
「幸せ」て、1人じゃなかなか得がたい。誰かを想う、想いをよせる相手・対象がいるから自分が満たされる。そういう相手がいるそのコト自体がすでに「幸せ」なんだと思う。他人がいるから自分が成り立つ。逆を考えればいい。自分が想いをよせたいという欲望があっても、ソレを受け取る相手がいない。想いをよせる対象の不在。コレは不幸だ。
人が自信を得るには2つの方法があるとワタクシは思う。1つは自分自身が何らかの目的を達成した時(自分→自分)。もう1つは自分に自信がなくても、他人が自分を信じてくれる時、受け容れてくれた時、認めてくれた時(他人→自分)。
エウレカセブンというアニメがあるのだけど、本屋でその漫画があって、ワタクシは特に好きでも嫌いでもなく「聞いたコトはある」程度の興味本位で、まぁチラっと見てみた。したらたしか主人公の少年とエウレカというヒロインの少女がこんなようなやりとりをしてた。
自分を信じるコトのできない主人公の少年にエウレカは言う。「キミが自分を信じられないなら、私がキミを信じるね。」
話の設定や内容は省くけど(ワタクシもよくわかんないし)、まず主人公の少年よりエウレカという少女の方が能力があります。そして主人公の少年は少女のエウレカのコトが盲目的に好きです。なのでこの言葉は「効く」。主人公にとって自分を信じるコトよりもエウレカの言うコトを信じるコトの方が「容易い」。
いろいろ引用する。ワタクシが今年に入って興味を持ち出した人に内田樹というモノ書きの方がいらっしゃって、この方は大学の先生をやられてる。その内田さんの著書『ひとりでは生きられないのも芸のうち』に、要約&引用するとこんなようなコトが書いてある。
 「キャッチボールというのは一見無意味だ。ただボールをやりとりしてるだけで、何の生産も何の価値も生まない。むしろエネルギーと時間を消費してマイナスになる。でも壁に投げて捕球する、というのに比べればソレは明らかに幸福だ。
ソコに相手がいるから。投げる相手がいる。そしてボールを投げ返してくれる相手がいる。「あなたなしでは私はこのゲームを続けることができない。」私たちはそのようにして他者の存在を祝福し、同時に自分の存在の保証者に出会う。「私はここにいてもよいのだ。なぜなら、私の存在を必要としてる人が現に目の前にいるからである」という論理形式で、交換は人間の人間的尊厳を基礎づける。交換の本義はそのような「存在の根拠づけ」に存する。
ひとりでできることを二人がかりでやる。それによって「あなたなしでは私はこのことを完遂できない」というメッセージを相互に贈り合うこと。それがもっとも純粋な交換のかたちである。

   I cannot live without you.

これは私たちが発することができるもっとも純度の高い愛の言葉である。私はこのyouの数をどれだけ増やすことができるか、それが共同的に生きる人間の社会的成熟の指標であると思っている」(P277〜『あなたなしでは生きてゆけない』より)
「想い」てクロスさせないといけない。させるモノだと思う。「今・ここ・私」というのもまわりに「あなた」がいるから成り立つ。
足下には、過去のご先祖さまから代々連綿と続く、その一番上に現在の自分がいて、頭上には未来も続くであろう命の連鎖がある。その縦の時間軸があって、現在の自分がフト横を見渡すとたくさんの人がいる。自分を「自分」たらしめてくれる「他者」という存在。ソレが全方位360度にいる。そしてその各々が1人1人縦軸と横の広がりを持ってる。この世界はそういう世界だ。
いずみさんのアルバム『Family tree』では「今・ここ・私」の存在を肯定、という地点まで到達したとワタクシは解釈してるのだけど、現在ココに加えるとしたらその「横の広がり」だ。そして今、2009年のいずみさんは、いずみさんの最近のブログを読む限り、ソレを実感として感じてるようなのだ。
たぶんソレはまだ赤ちゃんである娘さんの存在がとても大きい。いずみさんがおかあさんとして娘さんに愛情を与えて育ててる。娘さんがおかあさんの愛情を感じて、愛情を返している。愛情の交換。このコトでおかあさんであるいずみさんは満たされた気持ちになってるはずである。ソコでたぶん今までに書いてきたようなコトを、十二分に実感として噛み締めてるはずなのだ。そして自分が復帰してきた時の、歌を歌える喜びの実感。ソレが最近の感謝の言葉に表れてるような気がする。
いずみさんは自分1人じゃなかなか得られなかった幸福感を、旦那さんと娘さんという2人の存在によって、いとも容易くするりと簡単に気付けば手に入れた。外野で見てるワタクシにはそう映る。
たしかに人は自分を見つめるコトも必要だ。混乱してたり整理がつかないから外からの情報をシャットアウトしたい時はある。でもソレばかりではいけない。どんどん穴を掘り進めていって出口なしという、袋小路に陥るコトも若い時はよくある。そういう時にちょっかいと言うか、やや強引ぎみに「おじゃまするね〜」と部屋に入りこんで、窓を開けて空気の入れ換えをしに来る人、そういう人がいるとその人は救われる。自分内に閉じこもっても、そういう人間関係・人との交流をまだなんとか持ててれば築けていれば、その人を外に引っ張り出してくれる力になる。だから内向的な部分と外向的な部分、双方バランスを保ってある程度持ち合わせてた方がおそらく良い。
自分を高めるにしても、他人の失敗談や経験談を聞いて、ソレを自分にフィードバックさせた方が早いはずだ。ワタクシはそのために60億だかの人が、今この世に生きてると思ってる。ご老人がたには自分たちの生きてきた経験が豊富にあるだろうし、赤ちゃんも我々に何かを気付かせてくれるキラっとしたモノを持ってる。たしかに自分で行動して得たモノではないから、なかなか身にはつかないカモしれない。けど聞かないよりは聞いた方が、ある時フトその聞いた話を思い出して役に立つ時があるカモしれないからマシではある。そういう点で外向的に、他人との良好な関係を築いた方が良い。
でも反対に外向き100%で自分が無い、というのも考えモノだ。そういう人は八方美人で世渡り上手カモしれない。けど「あの人、信じられない」と思われる可能性も高そうだ。だから内向的・外向的、両方の部分をバランス良く持ってるのがいいんだと思う。
結局何が言いたかったかと、一言で言えば「チャーリー浜は偉大だ!」というコトになる(新喜劇のようにコケる)。