しかし似てるわぁ〜 ぱあとつぅ。
なんだか降りそうな空模様の中、外を歩く。駅前の店でお茶していたらザァーと大粒の雨。空は黒い雲が重苦しく広がってる。雷がゴロゴロ鳴ってる。しばらくすると、雲がまだらになってきて向こうが明るくなってきた。小1時間経ってしまった。
雨が止んだので駅へ向かう。いつもの駅で乗り換えて各駅に乗る。するとはじめは気づかなかったのだけど、なーんか前に座ってる人が、昔好きだった人に似てる。思わず二度見した。向こうの視線で気がついた。
普通なら何か不機嫌な感じだったり、そういう表情をしてる女性が多い。もっと笑顔でね。こうへの字口でいるよりその方がいいんじゃない?損してるよ。なんで不機嫌そうな顔をしてるんだろう、と。ワタクシはいつもそんなコトを思うのだけど。ちなみに、だから自分は口角を上げてるつもりでいる。人に笑顔で映ってるかは分からないけどね。
でも前の人はいわゆる「いつもの」への字口な表情なり反応はしていない。むしろ向こうもワタクシ同様、気になってるのかな?という、そんな視線。そういう「?」的な、ちょっと観察的な色の視線を投げかけられる。向こうが「その人」ならたぶん向こうも「本人照合」をしてる最中なのだ。ワタクシはといえば、だからといってあまり人のコトをまじまじと見るのはハバカラレルので、視線をトコロドコロに外しながら、頭の中で少ない情報を頼りに「本人照合」をしてる。と同時にこちらが見ないコトによって「あー見てるなぁー」と相手の視線も感じてる。
アレから20年は経つのだ。ソレだけの年月が流れれば人の外見も変わるはずである。「アレから20年」後の相手の外見を頭の中で想像してみる。目の前にいる人はソレとはちょっと違うような気もする。言葉としてはおかしいカモしれないが「正常進化」ではない気がする。でも「範囲内」だとも思う。そのくらいの「年の取り方」のようにも思える。でも何かしらの違和感は拭えない。骨格とか目の形とか、、、合ってるような合ってないような、、。でもそういった外見以外の、オーラとか雰囲気とか、伝わる何かがワタクシに「似ている」と言わせる。アンテナが「似てる!」と言うのだ。発する色が似てるのだ。
ワタクシは、例えば向こうから人が歩いてきて「知ってる人に似てるなぁ」と思っても100%確信がもてないと声をかけられない。ソレは誰であってもである。だから相手がワタクシに気づいて声をかけるパターンが多い。せめて一声だけでも耳に入ればもっと本人かどうか判断できるのに、ヒントがあまりに少ない。
急行乗り換えの駅で向かいの人は電車を降りた。ざわざわ感ともやもや感。ドキドキではなくざわざわがぴったり。「ドキドキ」は現在形の言葉だと思う。「過去」に対してだから胸がざわつくのだ。80%そうだろうなぁ、と今でも思ってる。でも、またたとえ会うコトがあったとしても、もっとざわざわ感が増すだけで、本人確認もできずじまいのまま、同じように別れるんだろうな。別に感傷的でも何でもなく、視線ていう糸だけ感じて。でもソレでも全然構わないなぁと思ってる。また、乗るはずのない時間の電車に乗って。
まぁ普段はなかなか味わえないような気持ちを味わえて、良かったでござんすよ。