過去があるから今がある。石(意思)が積み重なってココにいる。
ムダなコトは1つもない。未来とは「今」の連続である。

へたな鉄砲数打ちゃ当たる。へたでも打たなきゃ当たらない!をモットーとする
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 やぎ本。⇒本が大好物なやぎのぢぇーむすくん(a.k.aかたこと)がオーガナイザーを務めるやぎの本棚、略して「やぎ本」。本や本にまつわる情報の紹介。神出鬼没でごくまれに登板します。
 ◇最新本◇  今年(といっても2021年だけど、、)読んだ本。後編 

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 Everyday39(エブリデイ・サンキュー)⇒katakoto cafe、やぎ本。につづくかたこと第3の架空のブランド。かたこと流に「毎日が楽しくなる」新たなアイデアを加えたグッズ関係のブランドです。
 ◇最新グッズ◇  『靴箱→ファイルボックスへトランスフォーム!』 

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 祝☆overcoat’s(オーバーコーツ)再結成記念!!  ワタクシが検索しやすくするため(笑)overcoat’sについて書いたブログをまとめて読めるようにしました。ブログタイトル下のカテゴリー「overcoat’s」をクリックしてね~☆
 ◇最新ブログタイトル◇   『Overcoat's(オーバーコーツ)21年ぶりの新アルバム!『9 numbers,Groovy!』を聴いて。♪♪その5♪♪』 

例の電気街の事件以来、模倣犯というかあの事件をマネるヤツが多いね。本屋でとか駅でとか。まぁあの電気街の事件だってあの犯人の10年前に同じ年ぐらいのAがやってて、雑誌なんか読んでると似たような事件だからといって関連づけてる記事も多いんだけど、どうなんだろね。たしかにつながりが全くないとは言えないけど、やっぱり個々で犯人の心理ていうのはソレゾレ違うと思う。だから十把一絡げに論ずるのはどうかと思うけど。
でも1つ思うのは、時代的なコトもあるけど今はみんなとにかく「自分」だよね。自分自分で。他人なんか気にしちゃいないから余計に深みにハマる。あげくああしないと自分に注目してもらえない、てトコまで追い詰められる。
ちょっと昔だったらあそこまで行く前に親に直接反抗したり、いわゆるグレるという段階があった。暴走族とか。今はそういうコトを超えていきなり社会、だもんね。
事件を起こした「先」もまるで考えてない。討ち死にだからね、考え方としては。やったからといって何も生まれないし。犯人たちにとっては事件前の高揚感だけでしょ。得られたモノというのは。ソレによって生きてる実感も湧くんだろうけどそんなのは一瞬で終わる。
弱肉強食的生き方ていうのは、対象を食らう前に気持ちがちょっと高揚するだけで、あとは何も生まれない。昔のドイツの民族的なああいう思想は、ただ自然から与えられた身体の能力だけでもって選別してるに過ぎないから、ソレ以上どうこうというのが無い。ただ動物的に優れてると言ってるだけだ。ソレは自分たちで高めたモノ創りあげたモノではなく、あくまで自然から与えられたモノに過ぎない。何を言いたいかというと、ソコには人の何らかの創造なり工夫が無い、というコトだよ。
弱いトコロをフォローし合いながらソレゾレの得意なトコロでもって助け合ったりというのが、単純な足し算ではない成長につながる。人は弱いから生き方に工夫をしたり補おうと創造したりする。弱肉強食は振るい落としだからシリつぼみなワケで、ソレだと未来がない。
コレだけの人や全てのモノがこの星に在る、というのはみんな必要だから、そうバシャールは言う。必要だから存在してるワケで、必要じゃないムダなモノは宇宙は作らない、と。全て関連しあってつながりをもってる、というよりも「全ては1つのモノ」だと。
だから人があいつ必要ないから、ムダだからと言って他人の未来を奪う権利は無い。他人の(そして自分の)可能性を奪う権利は誰にも無い。ソレが人が人を殺してはならない理由。
自分に執着しすぎない。もっとね、与えられた身体ていうのを、あんまり表現よくないカモしれないけど、いろいろ自由に試してみればいいんだよね。もちろん犯罪的なコトじゃなく悪いコトに使うのではなくね。自分の手とか足を使って「あー自分てこういう時、こういう反応をするんだぁー」とか置かれた状況の自分の反応を楽しむとか。ソレて自分を客観視するてコト。前にも「自分を他人事」のように見てみる」みたいなコト書いたけどね。ちょっと引いた目で自分の反応を楽しんでみる。
そういう思考の人もいるみたい。「あーオレてこんな苦しいコトやってるんだなー」とか、苦しいコトをやってる自分を客観的に見て楽しんでる自分がいる。まぁちょっとMっ気あるけど(笑)、自分の身体ガンバってるなぁーと自分の魂が見てるような、そんなイメージ。正太郎君が鉄人28号をコントローラーで動かすような。たとえが古いけどね(笑)。そういう意識のフォーカスのズラし方。
あと、こちらが何かアクションを起こした時の、相手の反応(リアクション)を「楽しむ・面白がる」ていう思考回路にしてみるとか。上から目線じゃないけどさ。そういう考え方に視点が変わると、たぶん恥ずかしいとか何とかてのが無くなると思うんだよな。
自分が何かしようとするたびに、相手はこう思うんじゃないだろうかと怯えたり、恥ずかしいと思ったりして結局やらずじまいで自己完結してしまう。自分を相手より常に下に見ている。ソレだと何に対しても自己完結型思考になってしまう。
ワタクシもそうだけどだいたい執着気質で意識のフォーカスが自分に合いすぎてる人は、ナンでもカンでも自分にマトモにダメージ受けちゃう。打たれ強くない。傷つきやすい。でもワタクシの場合は寝てしまえば忘れるんだけど(笑)そうじゃない人もいるワケで。ようは車でいうクラッシャブルゾーンが無いみたいな、衝撃の吸収しろが無いんだな。自分を客観視して、フォーカスを少しズラすコトで衝撃吸収部分を作るみたいな、エアバッグが膨らむみたいな、そういうイメージ。
せっかくこの世に生を与えられて、というコトはこの時この場所にあなたが生まれるてコトは宇宙全体にとっても必要なコトだから生まれたのであって。だったら魂の3次元化したその身体を、手足や感覚機能を、持ちうる全てのモノを活かしてこの世界で表現しましょうよ!てコト。