シンクロ継続中〜。
どうやら糸井さんとシンクロは本日も続いてる模様。コレ書こうかどしよかと思ってたネタだけど、糸井さんが書いてたのでワタクシも書くコトにする。「ほぼ日」の『今日のダーリン』のこんな一文。
『日常で交わされることばのほとんどは、 軽くて意味の薄い肩をぽんっと叩くようなもんですから。』
そうなのよねぇ〜、ワタクシもどっちかつうと「言葉なんてソレ自体は意味が無いモノなのよ」派。言葉てあくまで「器」であって、まぁ「皿」としよか。その皿にのせる「思い」という名の料理は人ソレゾレちがうのよ。ワタクシはコレがデリダの言うトコロの「エクリチュール」だと解釈してるけどね。
だからまぁココ見てくれてる人は分かってくれてるカモと思うけど、ワタクシは「雰囲気」というかざっくりした「感じ」でモノしゃべってるから。文の一語一句の意味をいちいち考えて受け答えするのではなく、文章全体の裏側から発する相手の言いたいコトにとでもいうか、行間からにじみ出てるモノというか、ソレに反応してる。この言葉に対してのこの言葉とか、そういう風には考えてない。だから言葉の意味をしっかり考える人とは会話は通じない。そういう人はワタクシと話をするとイラっとすると思う。この人とは会話にならないー!て(笑)。いや、最近そんなコトがあったからね、そう思うんだけど。でも直んないね、コレは。
糸井さんの言を踏まえて言うと「がんばれ」ていう言葉ソレ自体にはそんなに意味があるワケではなく、とにかく相手を励ましたい気持ちがあるから、とりあえず日本語で最適かと思われる「がんばれ」という言葉を使っているに過ぎない。日本語はこういう相手を励ます言葉が少ないらしいね。だからだいたい「がんばれ」になっちゃうんだよ。
「こんばんは」とかあいさつなんて全然意味が無いじゃん。いや実際は意味がある言葉なんだけど、ワタクシたちはいちいちその意味を考えながら「こんばんは」とは言っていない。単なるあいさつで、あいさつてそういうモンだよな。でも「こんばんは」自体には何の意味も無いけど、何か相手に伝えたい気持ちはあるんだよ。あなたに会えて良かったとか、黙ってるのも何だから、、とか理由はさまざまだけど、とにかく気持ちを伝えたいから声をかける。
天気の話なんて別に意味無いじゃん。興味なんか無いよね基本。でも黙ってるのもナンだし、何か相手とやりとりをしたいという気持ちが、天気の話の裏側にある。「その裏側」が伝わればソレでいいんだから、言葉に限らずアウトプットした表現ソレ自体は意味が無いし、別に何だっていい。そういう考え、ワタクシは。
だから外国の人と、お互い言語がちがって話しが通じなくても、なんとなく相手の発する音の「裏側」の思いとか気持ちが伝わって、「ああー、この人はとりあえず私に敵意は無い。好意を示してくれている」とか読み取るコトができる。ソレで十分コミュニケーションは成り立っているとワタクシは思うし、ソレで良いんじゃないか、と思うけど。
たぶん「言葉の意味」派の人は「英語的」なんじゃないのかな?西洋的なんだよきっと。英語は日本語みたいに意味の無い会話を交わす、しかもケッコー長い時間ソレでもたせる、てコトはありえないんじゃないかな。でも小津映画なんかきわめて「日本的」でしょ。観たコトないけど(笑)。イメージで書いてるけど。
だからワタクシと会話をする人は「寛容」な態度で臨んで、なおかつ全体の雰囲気で「コイツの言いたいコトはこういうコトかな?」と、なんとなくで理解してください。なによりワタクシ自身がそういう態度だし、なんとな〜く言いたいコトが分かってもらえればいいと思ってるので。実際このブログに書いてるコトもなんとな〜く分かってもらえればいい。