あれから5年。
もう5年経ったんだぁ、と思うほど今だ鮮明な映像が脳裏に貼りついてる。飛行機がビルに突っ込む映像。そして崩れ落ちるビル。まるでCGのような、非現実的な映像が。
グローバルという言葉がある。グローバリズム。その言葉の意味は「共存共栄」、なはずなのだが、かの大国はソレをはきちがえてる感がある。またはそういうように他国にいるワタクシは感じてしまう。
かの大国としてはたぶんこういう心理なのだと思う。例えばダイエットで、コレ試してみるといいわよー!2週間で5kgやせたのーー!とか、健康法でコレいいわよーとか他人にすすめる。すすめずにはいられない性格の人。でも実際は「その人」だけ、ソレがよかった、カラダに合ってた、のカモしれない。人の身体には個人差がある。
この文の「人」を「国」に置き換えてみよう。
かの大国にしてみればなんの悪気もないのカモしれない。しかしソレは他国にとっては「押しつけ」に過ぎない、のカモしれない。自分の生き方・考え方を推し進める。ソレはウラを返せば他の国の考え方・生き方を認めない、という誤解が生まれる可能性も出てくる。あくまでこういう考え方もあるよ、と参考にしてもらう程度に留めるべきだ。自分以外の人々の、ソレゾレの生き方・考え方を認めるべきだ。
たしかに過去の出来事や惨事は歴史に刻まれ、癒えるコトのない傷となる。その傷が怒りに変わる、その怒りの大きさは想像を絶するだろう。しかしその怒りを刃に変えたとしても、過去にあった惨事は報われないのではないだろうか?何も変わらないし、何も終わらない。散散な痛み分けなのは歴史が何度も証明してるではないか。現代を生きる人々が過去の歴史から学び取るのは「怒り」ではなく、ソレを繰り返すコトを「虚しい」とする理性。過去を教訓にする。過去を教訓にして未来を築く。過去はそのために存在する。人類が積み重ねてきた石をムダにするな、と言いたい。