リアルとファンタジーについて。
ワタクシの父親を見て思う。ワタクシの親というのは無趣味人間で、何が面白くて生きてるのかと時々思う。思うにたぶん現実主義者(リアリスト)なんだと。人が楽しむ趣味だとか娯楽・エンターテイメントの類は「ムダ」の一言で終わってしまう人間なんだな。そんな父親なので、ワタクシがカフェをやりたいという想いは、彼の生き方からすれば全く真逆な、ソレこそムダの極致みたいなとこにあると思うのだけど、父親は本心から理解はできないけど納得してくれてはいる。ワタクシはワタクシで、彼のレール・彼の人生哲学からはみ出てるという認識は強くある。ただコレばかりはやってみて長い時間かけてワタクシが結果・実績を形で表していくしかない。
少し話はソレたが、人生てのはファンタジーがないとつまらないと思う。生きるてのは自分をダマし続けていくコト、て言っちゃミもフタもなく第一、表現として「粋」じゃないよなぁー。リアルばかりじゃつまらんですよ、人間。
最近さがしてた本で『ファンタジア』というのがあって、やっと代々木上原の駅前の本屋にあって。この本屋は棚が小さいのに、店主さんやお店の方が棚を良く見てるのか、本が好きなのか、かなり「かゆいところに手がとどく」本屋さんなのだ。2冊あったんです、探してる本が。そのうちの1冊はパッと丁度目の高さの位置に置いてあって、もう1冊はそのウラの棚にやはり置いてあった。さすが!お目が高い、と思いましたね。とにかくモノを手にとって見てみたかった。でもパラパラと読んで見て結局買わなかったけど(笑)。
この本はデザインの本で、著者は外国の有名なデザイナーなんだけどその人の発想の仕方とかデザイン論が書かれており、その本で言わんとするコトてのが「ファンタジーというのは、現実(リアル)の上に成り立つものである」と。ココで書かれてるファンタジーというのは幻想という意味ではなく、現実という基本・ベースがあって、ソコを出発点としたモノの発想・想像のコトを意味してると。だからリアルがなければファンタジーも成り立たない、とそういうコトが書かれている。たしかに全く0からの妄想・空想てありえないし、中にリアルという実がなければホンモノ感も出てこないと思うし。映画をイメージしてもらえれば分かると思うけど。
ワタクシはプロレスが好きだ。今でこそ格闘技も好きで見るけど、どっちが好き?と聞かれたら間違いなくプロレスと答える。格闘技もいまやファンタジーの要素が入り出したけど、その点においてはプロレスの方が秀でている。逆にリアルファイトが売りの格闘技にファンタジーが入り出したら、違和感が否めないし、とんだ茶番となるし、三流のプロレスとなる。はっきりいってワタクシの中ではファンタジーの方が上位にくる。リアルという基礎があってこそのファンタジーだから、リアルを解って知ってこそできうる「ファンタジー」なのだ。リアルは「そこに在るだけ」のみだけど、ファンタジーていくらでも想像するコトができるし、そのコトで世界が広がるじゃない。
上位にはくるし、どっちと聞かれたらプロレスと答えるけども、人間的にはリアリズムとファンタジーのバランスがとれてるのが一番いいと思う。考え方としてね。もしくは6:4ぐらいでややファンタジー寄りか。