前兆。
この世界には前兆というモノがある。昨日のあまりの惨劇後の、若干ムナしさを漂わせながらお片付けをしてる一方で「コンだけ最悪なコトが起きたんなら、近々何か良いコトがあるのカモしれない」と負け惜しみじゃないが(笑)思ってた。昨日はその後もあまりいいコトのないサンザンな1日だった。
そして今日。今日は運の向きが変わっただろうか、と頭のカタスミで思いながらバイト。バイトは相変わらずの忙しさで、やっとこさ賄いの時間。その時いっしょに賄いを食べてたバイトのコが、今回のバイト先閉店のコトと自分の就活のコトでビミョーだなんて話をした。就活を始めると新しいバイト、特に長期バイトができないからね。だからどーしよーかなぁ、という。まぁそういうコは出てくんだろなぁ、とは思っていた。まー今はモバイトとかあるしね、登録制のやればいいじゃん的な話をし、経験者としての就職の心得(お説教)を述べた。
今日は早上がりだったので、いつもの好きなカフェへ行こうと電車に乗った。幸せや良いコトてのは、分け合ったり誰かに話したりすると、新しい幸せゴトや良いコトがまたやってくるみたいなコト、聞いたコトありませんか?ワタクシはふいにソレを思いだし「そういえばあのコに話したから、自分の知ってる情報を与えたから、良いコトがあるカモしれない」と。世の中は(あの世も含めてカモしれないが)質量(エネルギー)保存の法則が有効である。
そして好きなカフェのレジ前で、魔法がかかった。カフェで本を読んでいたら、学生の男のコがなにやら紙をもって、店主の人に渡している。もしや、、と思いながら、ソレでも読書を続ける。そして勘定の時に吉報だ。
ワタクシはこういう魔法に何度かかかったコトがある。会社を辞めた時もそうだ。何度か経験してるので「ひょっとしたら、、」という念があり、、レジでその吉報を見た時「あ、コレのコトだったのか」と、納得したのだった。
この魔法の効力というのは、最高潮が半日しかもたない。家に帰ってTVをつけると、女子バレーがキューバにストレート勝ちしている。効力が持続している。あとは山なりに下降線をたどり、2日もしたら効力は切れる。というコトは明日が勝負。
この魔法、自分のタイミングとまわりのタイミングが一致するという条件で、ある一瞬(半日)有効である。この吉報を活かせるかどうかは、自分がその吉報(チャンス)を疑うコトなく、ある意味考えるより先に勢いで行動できるかどうかにかかっている。チャンスという魔法の中に浸ってる時間はわずか半日だ。ココで躊躇したりやり過ごしたりそのチャンスを疑ったりしてると、いわゆる「タイミングを逃した」というコトになる。いつまたそのチャンスはやってくるか、遠い未来になってしまうのか。チャンスが目の前に訪れた時に、敏感にキャッチして反応して素早く動けるコトができる「自分でいられるか」どうか。この「時」のために、自分自身を常に向上させて準備をしておく、というのが人が生きる意味において重要なコトなんだと思う。チャンスを活かす、てこういうコトなんだと思う。
感覚的なコトなので、こういうコトを体感したコトのない人には分からないカモしれない。少ないチャンスをはっきり「チャンス」と認識して活かせる人は活かせるし、活かせない人は活かせない。
実はさらに言えば、以前カフェのエスプレッソマシンが故障した時のきっかけを活かせていれたなら、もっと話はスムーズにいってたカモしれない。この時点でなら可能性としては80%は固かっただろう。何かのきっかけだとは思ってたけど、その時はやりすごしてしまったのだ。でも今回でも50%はあると思う。
ただこの吉報がきっかけとなり後々何かしら続いていけばいい、ぐらいに思ってる。どうせダメもと。今回はあくまできっかけで、この件とは別の話としてアプローチをすれば、少なくともコレをする以前・以後で何かが変わるはずだ。ソレが線となって続いていけば、ソレはソレでいい。
そういえば、サンザンだった昨夜、ときどき見てるとあるサイトで引用されてた文章をさらに引用、引用の引用をする。
「うまくいかないことには うまくいかないほうがよい理由がある。」
某スピリチュアリストの言葉だそう。