「世界の終わり」でもみてみようじゃぁないか。
ピンポンパンポ〜ン♪お知らせします。今日は世界の終わりの日です。今日で世界が終わります。
もしこんなアナウンスがあったら、あなたはどうしますか?、、、
今日はLEBERTA Produce vol.2『世界の終わりには君と...。』を観て来た。もし世界が終わるなら、、、テーマ自体はごくありふれた題材を扱った芝居。でも実際に1つ、深く掘り下げて考えてみると、、どーでしょう。
話は「世界の破滅」プログラムが開始されるコトから始まる。主人公と主人公の元彼女、レイと謎の人物、神谷一(かみやはじめ)。レイとはじめ。0と1。破滅と存続。彼らは双子で対の存在。彼らはプログラムの落とし子であり、自分の使命から逃れられない。主人公はこの2人の間で揺り動かされる。世界が終わるなら、大切に思う人に一目会いたい。「存続」の象徴である一は、人が会いたいと思う相手に会わせる、という人々の願いを叶えてあげようとする。レイは主人公の元彼女。世界が終わるならもう1度会いたい。ただし願いが1つ、叶うとソレと引き換えに世界は、破滅へ近づく。会いたいと思う自分と相手の思いが引き合うとプログラムは進行していく。ソレでも主人公はレイに会うべきなのか?たとえ自分のせいで世界が終わるとしても、、、。
すると逆に人の願いを叶えてあげよう、会わせようとする一が悪魔に思えてもくるね。会いたいて思う人に会わないでいるから生きていける、ていうのもあると思うんだな。いつか会える、というのを希望に、日々の糧にして生きていく。大切なモノがこの世界で、生きてるうちに見つかったとしたら、この世に未練はないのカモしれないけど、まだ大切なモノに出会えてないなら、なんとか生き延びようと考える人もいるだろうね。未練、というかソコに希望・期待があるから。観ながらそんなコトも頭の片側で思った。全てが完結したらつまんないじゃない、終わらないから続けられるてね。ビンボー症なのかね(笑)。でもよくあるよね。でかい目標を達成したら、その後フヌケ状態になるという。だから人によっては目標を立てる、というコトが向かない場合もあるんだけど、結局目標に向かってる最中がイコール「生きてる」ていう、そーいう実感があるんだと思うな。ゴールに「幸せ」があるワケじゃなくて、ソコへ向かう最中が「幸せ」なんだよ、と。そんな気がする。
まぁでもね、今日で終わり〜てアナウンスがあって、みんないっせいにこの世界からいなくなる、であの世だかしんないけど、別の場に行くのならソレはソレでいいのカモね、ていう。ただ「場所」が変わるだけなんだ。現実はみんないっしょじゃないから、いろいろ考えるコトがあるワケだけど。そーいうひねくれた考え方もしたな。
今日行ったトコは初めてのトコで、10人×7列?ぐらいの、舞台も「コレから漫才でもやるんかい!」てぐらいのスペースしかない、そんな小さいトコではあるんだけど。前回の時は新宿のまた別のトコだったんだけど、なんか新宿はこーいうちっちゃい舞台とかケッコーあるのカナ?ワタクシは方向音痴なのだが、スンナリ行けてよかった。時間ギリギリだったのよね。
リベルタは前回の『如人草』(にょにんそう)と今回でカラーが出てきた感じ。悪友含めた6人の役者のレベルが分かったから、も少し丁寧に作りこんだ、濃ゆいのも期待しちゃうね。たぶんできるよ、ていう。いつかそんなのも期待、というコトで。
役者てのは演技ができる人、実力がある人、キャリアがあればあるほど逆に「普通の人」ていう役ができるんだね。素人同然だと「普通」ができない。だから悪友みたいな素人同然の助っ人的な存在には、ヘンテコだったり不思議な役だったり、みんなを引っ掻き回すよな役だったりというコトで言葉悪いけど「ごまかす」しかない。ソコは表現として参考になったな。なるほどな〜。
悪友は原作を書き始めてから、開演日まで半年かかったと言ってたけど、やっぱね、我々の目に見える部分てホンットにごくわずかなんだろうね。客が目にする部分て全体の10分の1とか20分の1程度しかないんだろうね。他の10分の9、20分の19をソコに向けてガンバってるんだろうな。