ネットでの『押し付け』の構造
今TVでテツコさんが「言葉にはその人の知識がくっついてますから、、」とおっしゃってました。言葉というテーマについてはまたいずれ書きたいと思いますが、言葉には辞書的な意味の他に人それぞれの認識があります。そこで話の食い違いが起こって来ます。
ワタクシは読んでませんが『バカの壁』という本が売れてます。人は自分の聞きたいコト以外は理解しようとしない、というコトが書かれてるらしいんですが、ソレ以外に今その人の頭を支配している考え事によって発言が歪められてしまう、その人の考えてる事柄の持つ引力とでも申しましょうかそのブラックホールに吸い寄せられる、というコトもワタクシはあると考えます。
いよいよ本題ですが(やっとですね)、そのブラックホールによってココの発言もある人には『押し付け』になってしまう可能性があるわけです。ワタクシのスタンスというか基本的な姿勢は、世の中にはこんな風に考えるヤツもいるゾ、というだけのコトでソレは「情報」の基本姿勢なんでは?と勝手に思ってます。そゆ数々の情報の中から読んだり、情報を知る側はチョイスできるわけで、自分が発言するコトで選択肢が1つ増える「だけ」という考え、に過ぎないのです。勿論提言としての意見や、人に呼びかけたりはありますが、そのアプローチ、問いかけを聞くかどうかはその人の選択しだいなわけです。そこは自由。
『押し付け』というのは一言で言えば『MUST』。その人が強制的に言われたコトをしなければならない、そんな環境に身を置いてる場合やソコから逃れられない、イヤだけどやらざるを得ない、ようはその場合は『命令』となるわけです。
じゃ何故『押し付け』になるのか。ソレはネットならではの言葉のパワーによるモノと思います。また明日〜。