10年。
katakotocafe.hatenablog.com3・11から10年経った、、と言っても、まだ鮮明に覚えてる。ソレだけ衝撃的な天災であり事故だった。たいした被害もなかったワタクシでさえそうなのだから、身内を失くしたりした方にとっては、一生忘れられないコトだろう。
ワタクシは10年前町田に居たのだけど、今でも町田に行くと「あの時ココで見た」時計や「まるで特撮映画のようにゆっさゆっさと揺れるビル」を見てた場所に佇んでみてみる。そうしていっとき「あの時」の空気を感じてみる。「あの時」以来、町田はワタクシにとってそういう街になった。
道が込み、タクシーを待つ列を見て、見切りをつけて歩いて家に帰ろうとしたとき、この体験を身体で覚えよう、覚えとこう」という思いもあった。だから10年ぐらいじゃ忘れない。
いっしょに歩いてる人たちや、コンビニの灯りに安心感を覚えた。停電してる地域もあったけど、歩き続けて自分が知ってる地域まで来てほっとし、自分が住む町の変わらぬ明るさにほっとした
TVは連日、冗談のような津波やポポポポーンの映像が繰り返された。1ヵ月ほど経って、スーパーの棚にじょじょにパンが並び出して、ようやく日常が戻ってきた感があった。
あの日以来、この国を支配してるのは「分断」という病だ。失ったモノもたくさんあるカモしれない。もしかしたら、今のコロナ禍の状況はあの頃より酷いのカモしれないし、マシなのカモしれない。でもあの日の、災害ユートピア的な、人と人との連帯感とでも言うべきか、人間の心の中にある灯台のような灯りを忘れてはいけないな、とも思う。あのときはああいう良さがあった、感じられたというコトを。あれが人の救いだと思う。