日本の総合格闘技(またはMMA)というモノ。
録画して、まだ全部は観てないRIZINの雑感。
青木選手vs桜庭選手は「世代交代」という意味合いもあるけど、桜庭選手なら何かやってくれるんじゃないか?という「桜庭幻想」があっさり打ち砕かれてしまったという試合だった。今の総合でありMMAというモノの、最先端を走ってる選手の技術でありレベルをまざまざ見せつけられてしまったという、非情なる現実を突きつけられた一戦。というか青木選手は自分の全てを見せるまでもなく、という感じだ。もう「マジック」「魔法」を使えない、見せられない選手の現役続行は正直、観るほうも辛い。だからそのコトに対しての、試合後の青木選手のリング上の、思わず出た土下座だったのカモしれない。四方の観客(二方だったけど、気持ち的には全てのお客さんに対してだろう)にした行動が「詫びる」というコトだったのが印象に残った。
「あなたのヒーローを打ち砕いて、ごめんなさい」
あの土下座とマイクで、青木選手がこの試合に臨んだ気持ちが痛いほど伝わってきた。そして桜庭選手は青木選手自身にとっても、ヒーローだったはずだ。PRIDEで、桜庭選手の活躍に魅了されて、総合を、格闘技をはじめた「桜庭チルドレン」ともいえる選手が世界各国にたくさんいる。その「みんなのヒーロー」俺は今夜、打ち砕かなければならない。でもだからといって手を抜いたりしては、逆に桜庭選手に対して失礼にあたるし、自分も逆にやられてしまう。「侍の介錯」のような、そんな気持ちで臨む試合ではなかったのではないだろうか。かつて流行った『さよなら、大好きな人』という歌を思い出した。
日本の総合格闘技、ジャパニーズMMAというのは単なる「勝った」「負けた」「強い」「弱い」だけではなく、泣けたり切なかったりする、そういう試合があるコトを思い出した。ソレが日本の総合、なのだ。
そして「日本の総合」を感じるのは、今回の高坂選手vsトンプソン選手の試合しかり、かつての高山選手vsドン・フライ選手のボコり合いしかり、「U」の選手、かつてUWFのレスラーだった人たち、が必ず絡んでる。まぁ元は高田選手vsヒクソン選手からPRIDEが始まったのだから当たり前といえば当たり前なのだけど、日本の総合格闘技というのは(とくにTVで放送、というコトになると)「プロレス成分」が少なからず含まれるんだな。ただ単に勝った負けたでは響いてこない。「プロレス成分」が日本人のメンタルであり情緒に響く。
桜庭選手がなぜPRIDEを引っぱってこれたかというと、ソレは「プロレスラー」というのはあると思う。青木選手が「桜庭選手にはなれない」と試合後のマイクで言ったのはソコなんだと思う。青木選手はプロレスラーではない。
青木選手は桜庭選手を見てきたから、主戦場をシンガポールに移したのカモしれない。自分が日本でやってくには背負うモノが重過ぎる。日本以外なら、もっと純粋に選手として試合に臨める。日本でやってくには桜庭選手のように、いろんなモノを背負わされるからだ。だから桜庭選手に「なれない」し「なりたくない」も、本音としてあるだろう。他人の期待に応えなければいけない。「ヒーロー」というのはそういう面もあるのだ。