新しい言語表現としてのデモ。
デモが各地で行われてるけど、楽しいから続くんだよな。楽しいから続けられる。ただ大声で叫んでアジってるだけじゃ疲れちゃう。飽きるし長続きしない。だから工夫して、若者が「かっこいい!」とか、たとえソレがファッション的だとしても、ソレは間口広く壁を作らないというとっつきやすさにもつながるし、長続きする秘訣なんだと思うな。
良いか悪いかは別にして、昭和人はナニゴトにも「重さ」を求める。ソレはある種のとっつきづらさを生むし、イコール古臭いとも言える。平成の「軽さ」が、とくに同年代の若者にとっては、とっつきやすくもあり、かっこよさでもある。「ダサさ」からの脱却。昭和人からすればこの平成の軽さにジェネレーションギャップを覚える。コレはプロレスも同じ。