「自分」じゃない。
内田樹さんのリツイート(4月29日)による橋本麻里氏のツイートより。
「インタビューの上手さには段階があって、インタビュアーが用意/想定したとおりの内容を話させようとするのが最低。インタビューイーが「日頃の考えを過不足無く話せた」と思えるのがまあまあ。達人はインタビューイーが「自分がこんなことを考えていたとは」と驚く内容を深いところから引き出す。」
コレ創作とか表現にも当てはまるコトだと思う。ようするに自分の意識してる範囲内が文中の「まあまあ」レベルで、無意識を掘り起こされたとか、自分じゃない誰かが自分の口を使って話してるようなそんな状態、にするのが達人レベル。インタビュイーの深いトコロを振るわすような言葉を届かせるコトができるてコトだよな。自意識より深層へ言葉を届かせる。目の前の相手の「耳」より奥、相手の「意識」より奥。インタビュイーは単なる「媒介者」になる。フィルターになる。「無限に広がる世界」と交信がツーツーになってる状態。アクセスフリー。
そんなワタクシの解釈。