思考の蛇口。
昨夜はアルコールの解毒のために大量に寝汗をかいて目覚めた。べっちょべちょだ。メンドくさい〜と思いながら、しかたがないので布団から出て汗を拭きにいく。でもただじゃ転ばないのがワタクシだ(笑)。そのおかげでブログネタを1つ思いついた。というか思い出した。
コレはワタクシの場合だけカモしれないし、言語化するのもはじめてだからうまく書けるか分からないけど、ワタクシの場合「夢を見る」ときというのは、深い眠りのときよりも浅い眠りのときの方が多いように思う。たぶん深い眠りのときというのは、意識もほとんどOFFの最小限の状態だと思うのだけど、浅い眠りの場合、もうちょっと意識があるというか、頭は起きてるけど身体は寝てるみたいな状態なのカモしれない。浅い眠りのときによく夢を見やすいのは、一番リラックス状態にあるからと言えるんじゃないかと思うのだ。
普段起きて活動してるときというのは、ある程度緊張状態にあるのだと思う。筋肉やらなんやら。気が張ってる状態だ。コレが「寝る」というリラックスした状態になると、緊張が解けるんだと思う。ようは弛緩。思考でいえば、思考の蛇口というのが、ちょっと栓がゆるむのだなきっと。それこそダムが決壊したかのように、思考がとめどなく流れ込んでくる。リラックス状態にあるから、ある意味頭がクリアな状態といえる。意識という緊張状態でありリミッターが、ゆるんでいる。そのゆるみから思考がダダ漏れる。思考のカオス状態。夢というのはこの思考のダダ漏れ状態を、脳がムリヤリ物語に仕立ててるだけなのではないだろうか?基本的には断片的な思考の連続でしかないはずだ。でも脳がなんとなく意味ありげに仕立てて、時系列、時間の流れがあるかのように作り上げてるだけ、に過ぎないと思うのだ。走馬灯なんてのも、このダダ漏れ状態とメカニズム的には同じなのだろう。ようは意識が「物語」であり「時間」なのだと思う。
ココまで書いて思うのは、普段起きてるときの日常生活でも、ワタクシたちは論理的に考えてるように思ってるけど、実はソレすらこの夢のメカニズムと大差ないのではないのかと思うのだ。ホントは断片的で、何のつながり、関連性も無い思考であり情報を、ワタクシたちはさも意味がありそうに関連づけしてく。物語を仕立てる。こういうコトを書くとモトもコも無いのだけど。ただソコに「意味がある」とするのが、人間にとってのファンタジーなのだ。運命だとかそういうコトもおそらくファンタジーだ。別にファンタジーだからといって否定とかバカにしてるワケではない。ワタクシたちはむしろそういうファンタジーを楽しみ、遊んでいる。生きる支えにもなっている。必要なモノであるコトには間違いない。
何か着想を得よう、何かアイデアが思い浮かばないか、というときに「うーんうーん」と腕組んでうなってても名案はなかなか浮かばない。ココまで読んでもらえたなら分かると思うけど、緊張状態だから名案が思い浮かぶワケがないのだ。
そういうときはむしろ横になって目をつぶる。「本気寝」ではなく「擬似寝」の状態になるだけでもかなり効果を発揮する。ソレだけで意識の蛇口がゆるんで、思考がどどっと流れ込んでくる。その思考の流れ込みをある程度「自分がこういうコトを着想したい」とコントロールしてあげれば、使えるか使えないかは別として、わりと着想を得やすいように思うのだ。
ワタクシは風呂に入ってるときに着想を得やすいのだけど、たぶんコレもリラックスしてるからだと思う。身体を洗うのはもう半ば機械的というか、とくに意識しなくても順番やらなんやら身体が勝手に動く。習慣化してるというか。動きが身体に落とし込まれてる。だから意外に頭のほうはヒマなのだ。退屈だからいろいろ思考を巡らせてみる。そんな中、何か思いついたかのようにひらめいて、あとは調子付くと芋づる式に5ヶも6ヶもアイデアが浮かぶ。まだまだ出てくるけどそんなに覚えきれないので、強制的に終了するか、その5ヶか6ヶのアイデアをあとで引き出せるように、頭の文字や重要ワードだけを覚えておく。その言葉を思い出せば、内容が思い出せるようにしておく。風呂から上がったらメモに書き付ける。