何気ない行動からわかるコト。
電車に乗ってるといろんな人を見かける。こんな人がいた。
ワタクシが席に座ってたら、向かい側にわりかし一般的には可愛い部類に入る女の子が座った。わりかし一般的に可愛い、と言ってるのだからワタクシの目線は顔とかその近辺である。そしてソコから視線を外してフト下を見やると、足がまるで観葉植物のベンジャミンの幹みたいなコトになってる(笑)。グネグネ〜とフクザツな足の組み方をしてる、てコトだ。1人コブラツイストのような。
分かるよ。たしかにああ組むとその人にとってはカラダ的にラクなんでしょう。でもね、コレはドン引きよね。上半分はふつーなんだよ。フツーに座ってるかと思うと下は「ろくろ首の逆」みたいなコトになってる。人が見てないトコでやってよね、という。
本人にしてみれば、無意識に何気なくやってるコトなのカモしれないし、変とも思っていないカモしれない。でもハタから見たらこりゃ変だぞ、と。せっかく一般的には可愛い部類に入るんだろうに損してるよな〜と思った。
またある日、電車に乗ってると、何やら優先席の方が騒がしいのでそちらを見ると、男(30代サラリーマン)と女の人(20代ぐらいの若い子)が口論をしてるような感じ。初めは夫婦ゲンカかと思ったけど違うらしく、口論の内容を聞いてるとサラリーマン男がケータイで電話をしてるのを女の子が咎めてるようだ。ソレで「バカじゃねーの!いい子ぶんなよ!」とか「会社の品位が疑われます!」とか言い合ってる。なんだかなぁーと、なんとなくどっちもどっちだなーと思う。
まぁ言い分としたら女の子の方が正しいんでしょう。電車内で仕事のコトとはいえ電話してる方が悪い。しかも優先席てのがなおさらマズい。たしかにそのサラリーマン男のまわりには人がいなかったので、一応は悪いなという気もサラリーマン男にはあったのだろう。でも女の子にしてみれば、ひょっとしたら知り合いとか友人にペースメーカーをしてる人がいるとか、何かそういう直接的に関係してくる事柄があったのカモしれない。単なる子供的ないい子ちゃんぶってるワケでもないのかなぁーとも思う。
しかしワタクシが言うのもナンだけど、この男も自分の発言をよく考えてするべきだな(笑)。バカだと言ってる相手に怒られてる自分はどうなんだ?と。その子より下にはならないか?こういう場面に出くわすと、やっぱり日本人は「恥」というモノを忘れてる、わからなくなってると思ってしまう。何が恥で何が恥ではないのか?本来大人というのは自分より年下の子のお手本にならなければいけないのに、下の子にソレを正されてる。
かと思えばこんなコトもある。
別に取りたてて書く必要もないのだけど、ワタクシは普段急ぎの用とかが無い限り、基本エスカレーターとかは先を譲るようにしてる。自分がこの先何かしらで「ごめんよ」と急ぐ場合があるだろうから、「その時のため用」に貯金ではないけど貯めてる感覚がある。自分が歳をとったら迷惑かけるようになるのだから、譲れる時に譲っとく。たぶんこういうコトは最終的にチャラになるのだ。そういう根拠のない理念が頭の片隅にある。別にソレは他人に押し付けるコトではなく、自分の決まりゴトというほどのモノじゃないコトだ。
で、こちらが譲るのに対して(だいたい女性が多いけど)、向こうもふつーに当たり前のように先を行く。別にソレでいい。こちらは譲ってるのだからな〜んの文句もない。コトがとどこおりなく進む。反応としてはごく普通である。
だけど先日初めて、というかホントは初めてではないのカモしれない。記憶に無いだけカモしれないので「珍しく」と書くけど、珍しく女の子に先にエスカレーターを譲られた。照れる。はぁー、譲られるて照れるモノなのだなぁーと思う。別にこちらは先を競って譲ってるワケでもないので、悪くない。むしろ良い!て感じ。
こういうコトを書くとすぐ恋愛と結びつけるスケベ野郎(あんたスケベね〜)がいるけど、「惚れてまうやろ〜」というWエンジン的な話ではない。ソコで「良い!」と思ったのは、自分のやってるコトは間違いではない、というコトだ。
こういう気持ちを味わった人が「自分もやろう」と考える。そうやって広がっていけばいいんだ、とそのコトに気づいた。別にそういう「広める」感覚はなかったので、いざ譲られる側になってみたらなるほどと思ってしまった。こういう場面に出くわした時、当たり前に通り過ぎるとソレで話としてはおしまい。何もソコから学ぶコトもない。
たぶん、譲ってくれた女の子は普段もそうしてるはず。そういうトコロでその人の「人となり」が分かる、てモンだ。逆に譲られるのが当たり前、という考えの人は、普段の何から何までそのスタンスだ、というコトだ。
だから礼儀とか礼節、マナーて大事なんだと思った。繰り返すが、ワタクシが言うのも何だけど(笑)。