過去があるから今がある。石(意思)が積み重なってココにいる。
ムダなコトは1つもない。未来とは「今」の連続である。

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 ◇最新本◇  今年(といっても2021年だけど、、)読んだ本。後編 

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2人の「よかった!」。

アルプスの少女ハイジが終わった。衛星でやってたんだけど、誰もが知ってるこのハイジをワタクシはしっかり見たコトがなかった。だから結局どんな話だったんだろう?と思い、放送を見たらハマってしまった。
コレは現代の日本に必要なアニメですよ。とくに今の子供とか子を持つ親に見てもらいたい。物語の前半は「ハイジ」だけど、後半は「フランクフルトの少女クララ」という感じで、クララの自立をハイジやまわりの人がサポートするという話。人が自信を持つ、という過程があの話には描かれている。
ハイジがアルプスに戻りたい、でもクララのそばにいないといけない。幼い子供にはとても酷な葛藤。ついには心の病にかかってしまうハイジ。でもまわりに理解者がいたおかげでハイジは助かる。
突破口をクララのおばあさんが作る。年甲斐もなく子供ぽくて、他人から見たらちょっと変わりモノにも見えるだろうけれど、おばあさんは意に介さない。そういう生き方と思考回路の持ち主。たぶん型にはめられた世界での、この人なりの立ち振る舞い方であり、生きる術なんだと思う。自分の孫であるクララに自分の二の舞にはさせまいという、そういう意思も見え隠れする。
そしてハイジには「もっと世界はこんなに楽しいんだよ」という気付きを与える。文字を読み書きできるコトで、面白い本がたくさん読める。ココで覚えた文字の読み書きが、後のおばあさんとの往復書簡につながってく。ひょっとしたらおばあさんはもうこの時点で気付いてたのカモしれない。クララにはこの子が必要。でもこの子は故郷に帰さなきゃいけない。いずれ離れ離れになる。その時にもつながっているための連絡方法として、まずハイジに読み書きを教えないといけない、と。
大きかったのはおばあさんの存在で、次にクララのお父さんのゼーゼマンさんやクララの主治医のお医者さん。実際に直接行動を起こせるのはこの2人だった。ハイジをアルプスへ戻す際、クララとロッテンマイアさんを説得するには、この2人が必要だった。コレはクララを信じての決意とも言える行動。
ハイジが山に戻った時はきたねぇ〜。もーウルウルきた。でもクララはまた元の生活に戻るワケで。でも以前とは違うのは、ハイジがいなくなった虚無感と一刻も早くハイジに逢いたいと願う希望の光。この点いてしまったココロの灯火は、消えるコトなくクララ自身を照らし続ける。
そしてとうとうクララはハイジが住むアルプスへ。ハイジの手紙で知らされてたコトを直接その目で見る。アルプスの自然の素晴らしさを満喫したのも束の間、クララは自分1人では、この素晴らしい自然の中でどうするコトもできないコトを痛感する。ハイジやペーター、まわりはみんなクララが来てくれて嬉しくて、クララに対して優しい。その充分すぎる気持ちに対してどうするコトもできない自分。
やがて、クララの後を追っておばあさんもアルプスにやってきた。自分たちばかり楽しんでズルい、という気持ちだったのだろう。ある時おばあさんがクララと2人で森にいたら、おばあさんが寝てる時にクララの目の前に熊が現れた。熊に驚いてクララは思わず車椅子から立ってしまった。しばらくすると熊は去った。異変に気付いたおばあさんは目が覚めて、ふと横を見るとクララが立ってる!へたり込んでしまったクララを抱いて「クララ!あなた立ったのよ!」
そのコトはすぐにハイジやオンジ、ペーターも知り、ハイジはクララが立てるモノだと信じこんでいる。そしてソコからクララの長く苦しい、自分で立つためのリハビリが始まる。
人は人によって動かされるね。逆に言えば1人じゃどうにもならない。オンジが理解者で、オンジのアドバイスと導きがあってクララが歩けるようになったとも言えるし、ハイジが、ハイジの性格によるモノだけど勝手に1人で舞いあがってしまって盛りあがってしまってクララを鼓舞する。ある意味乗せ上手。ハイジも「何々になったらいいなぁ〜」ていうイメージがまず先にあって、ソレをどうにか実現させたい、現実のモノとしたいという思いがある。でソレが実現するとなると「よかった!」と1人笑う。ワガママで強引なトコロもあるけど憎めない。子供ならではの無邪気さ。「してやった!」という。フランクフルトでのハイジとの生活で、クララもハイジと接するコトで子供の無邪気さを意識的に取り入れてる。でもモノゴトを自分の思い通りに、もしくは自分のイメージに近づけてくにはソレも必要だ。クララはハイジがいるコトで冒険ができた。ソコには2人の信頼関係があるから。2人にとって「よかった!」は共有感覚であり、共通言語なのである。
こういう風に相手を見つめ続けないと「頑張れ!」とか簡単には口にできない。頑張るべきトコロで頑張れ!と言う、そのタイミングを図るのは、相手のコトを良く見ていないと言うべきタイミングで投げかけれないはずである。言うべきタイミングのみで言えばいいのであって、始終頑張れ!と言ってもソレは逆効果である。例えは悪いが、競争馬に始終ムチを振るってもダメだ、というコトだ。振るべき時に振ればいい。その見極めは、馬の性格や細かいトコロの何から何まで知らなければ正確性に欠ける。だから逆に「頑張るな」とか「頑張らなくていい」とか言うのもワタクシは違うと思う。その人を良く見てる人以外はオイソレと簡単に口にできる類の言葉ではない、と思うのだ。そういうコトができるのは親か近しき人たちのみである。
常にテンション高めで相手を鼓舞し、時に突き放す。ハイジはクララが歩くコトをあきらめかけた時に「意気地なし!」と突き放す。しかしそのコトによりクララの胸中におそってきた淋しさが、クララを歩かせる。10回20回のうち1回くらい突き放すという、そのくらいの割合が良いと思う。コレは結びつきがあるから成せる術なのだ。
そもそもクララは、社会学だか心理学だかで言う「承認」の不足だったように思う。両親は常にソバにいるワケではなく、ソバにいるのは雇い人たちばかり。誰もクララの深い部分を受け入れられる人たちがいない。常に承認不足の状態。クララがアルプスに行った時、ペーターのおばあさんに本を読んであげた。クララの声がまるで天使のようだとおばあさんに褒められ感謝される。クララはこの時、歩くコトができないこんな私でも人の役に立てたと涙する。今までは家に閉じこもりきりでそういう機会に恵まれなかったワケで、こういう体験がクララには非常に大きなコトで、後のクララの自信の根幹になってく。
でもやっぱりタイトルは『アルプスの少女ハイジ』だなぁというのは、ハイジの人間性というべきモノ、人格性格天真爛漫で無邪気なトコロ全てひっくるめたハイジの持つ「陽」のパワーとでも言うか、生命力がまわりの人たちのココロを揺さぶり巻きこんでいっしょに踊らせるという。まわりのみんなが「この人を悲しませちゃいけない」という気持ちにさせる。アルプスに帰ってから以降のハイジは人生謳歌というか、見てるこっちまでハッピーな気持ちになったモンだ。ペーターもいい子だよな。素朴で誠実で、恥ずかしがり屋さんだけど人のためにやる時はやるという。オンジがペーターのコトを「大将」と呼ぶのが好きだった。今ああいう子いないよねぇ。
結局人というのは、最終的にはそういうトコロの勝負なんだな。どんだけ着飾ろうがカッコつけようがそんなモンはどーでもいい。ココロの根っこのトコロにこそ人としての価値がある。