過去があるから今がある。石(意思)が積み重なってココにいる。
ムダなコトは1つもない。未来とは「今」の連続である。

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旅とか匿名性とか自分探しとか。

まぁ大晦日なので、ココで普通だったら「1年のまとめ」とか書くんだろうけど、ここんトコロまとまったコトを書いてるヒマがないので(書きたくてもまとまった時間がとれないと「書くモード」に切り替えができないのよ)、この短かい年末年始、世間が休みの中ワタクシも動けないので一休み、といったトコロで、その間にいろいろ書いてしまうコトにする。
ちょうど「旅」というワードが出てきたので思ったんだけど、旅とネットでの匿名性てのは似てるトコロがあるなと。
旅つうのは、基本自分を知る人というのはまわりにいないワケだ。ネットに限らずだけど「匿名」てのも、名を名乗ってないし、こちらも基本自分を知る人はいない。「こういうハンドルネーム使ってるの」とか公言しない限り。まー「コイツ、あいつなんじゃね?」とうすうす分かるコトはあるけどね。でもまー似たようなモンです。
ただ旅の場合だと、謙虚さがあるわな。その土地に対してというかその土地の住民に対してというか。やっぱり自分は異国の民なのであってヨソモノで、その土地のしきたりであり習わしを知らないKYなヤツなのであり、「ごめんなすって」ていうね。「失礼」ていうトコロはあると思うのね。
かたやネットだと横暴になっちゃったりするわな。無責任というか。ネット空間てのもパブリックスペースなのだから、本来は「ごめんなすって」ていうのは大事なはずなんだよな。
でもネットでの匿名性てのは良い面もあるんだよな。コレはあんまり言われないけど。現実世界で生身の自分だと、他人に対して例えば「お年寄りに席を譲ろう」とかいう善意も躊躇してしまうトコロがあるわな。恥ずかしかったり照れくさかったり他人の目が気になったり。
でもネットで匿名だとそういう善意もスっとできるんだよな。かつての某掲示板の『電車男』なんかもそんな例だと思うんだよな。ああいう風にネットでの「やや異常で過剰な盛り上がり」を良い方向に活かせる場合もあるワケだ。ツイッターもそんなトコロあるカモね。
あとリナックスみたいにオープンソースのソフトをみんなで機能向上させたり。ああいうのって何が得か?というと、名誉?いや名誉でもないよね。自分がみんなに賞賛されるワケでもない。自分が作ったモノ・機能がみんなに有用に使われてるていう「役に立てた!」ていう部分なのか、そういうじんわりくる満足感なのか、ささやかな部分でしかないんだよな。動画職人とかもそうだよね。まぁアレはコメントとかアクセス数とかで反応が分かるけど。だからコトサラ匿名性が悪い!とも言えないとも思うのだな。
旅てのも、自分が素直な反応が取りやすい状況に置かれてるのだと思う。ソレは相手の反応が素直だから、自分もまた素直になれる。普段の生活だといろんな観念邪念しがらみが自分にもあるし他人にもある。そういう澱みきった俗世間から逃れたい、別のトコロに身を置いてココロの洗濯をしたい、てのがあるよね。ソコで自分てのを取り戻す、ソレが「自分探し」なんだと思うな。
「自分探し」ていう言葉も、もう使い古された、「青春!」みたいな「若き日の青い時代」みたいな使われ方だけど、アレなんかはみんないまだに日常的にやってると思うんだよな。まぁ自分「探し」てより自分「発見!」に近いと思うけど、言葉として。逆に言えば自分探しをしてない人、終えた人てのはもう「人生悟りを開いちゃった人」か「何も無関心な人」だと思うんだよね。人てのは一生自分探しする生き物だと思うよ。
だって日々生活してる中で大なり小なりさまざまな刺激があるワケで、その中で自分がその刺激に対して何らかの反応をするワケじゃない。ソレてつまり「そういう反応をする自分の発見」だと思うのね。オレはまだこんなコト知らなかった、ていうそういう自分の発見。てコトは相手というか対象になるモノ、人でもネコでも犬でも花でもなんでもいいけど、そういう自分以外の他者がいないと「新たな自分の発見」にはつながらないと思うんだよね。
だから「自分探し」て「青くさい」というような若干ネガな意味合いではなく、ホントはアクティヴでポジティヴなモノだと思うんだよ。「自分の向上」なのだから。
自分が他者に対して何かしらのアクションなりアプローチをしてとか、その他者から何らかの刺激を受けたりとか、いずれにしろ他者がいないと成り立たない。だから部屋にこもってるだけじゃ、なかなか「自分探し」はできない、てコトだよ。反応が返ってこないんだから。反応を返してくれる他者の存在がない。で、反応を得るためにネットに頼るワケで。ネットがあるからこもれる、てのはあるよな。