過去があるから今がある。石(意思)が積み重なってココにいる。
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『ZガンダムⅢ 〜星の鼓動は愛〜』を観た。

このタイトルを知った時、ワタクシはビックリしてしまった。と同時に「そうだろなぁー」と納得もした。何故ならワタクシは、このタイトルを知る前にZ1部・2部とガンダムSEEDで、このタイトルのような意味合いを読み取っていたのだ。ちょうどそんなコトを考えた2週間後ぐらいにこの「星の鼓動は愛」というタイトルが発表されたのだ。
大まかな流れとしては前の2部の時に書いたので合ってると思う。結局ガンダムガンダムていいながら、今回観て「別にMS(モビルスーツ)戦はいらないんじゃないか?」とも。ソレほどガンダムて実は人間ドラマなのよね。でもソレでもMSを、MS=人間の本質を具現化したモノ、と解釈すると必要になってくる。各登場人物の想いや意志の表れが具現化したモノ。
この解釈てのはたぶん合ってると思う。富野監督は『SEED』からこーいったコトに気付いたのではないだろうか?時系列的にはSEEDが先に作られ、今回の映画版Z。ZガンダムというMS自体も人の意志がのっかるバイオセンサーというモノを搭載してるという設定なんだけど、SEEDを通りすぎたコトによって、改めてよりハッキリとこの設定が明確に・鮮明に活きるなと思ったに違いない。今回のZの『新約』の部分は多分に『SEED』の延長上にあると思う。でもだからといってあくまで基は20年前の作品なので、『SEED』ほどは明確なメッセージを打ち出してはいない。
観て思ったのは「ファの存在がでかかった、活きた」というコトだな。ファの存在があったからカミーユは「生還」できたんだと思う。ファという自分と同じ「民間人」の存在が身近にいたコトでなんとか戦争の淵に落ちこまずに済んだのだ、と思う。コレたぶんカミーユ1人だったらヤバかったよね。TV版のカミーユは、戦争で人がどんどん死んでいく意識に敏感に感じ取ってしまい、そして自分に未来を託してくれた人たちの力で戦いに勝つコトができたのだけれど、そのために全精力を放出してしまい抜け殻になってしまっていた。生命や意志の重さに押しつぶされてしまった。に対して映画版はソコで終わらずにソレを飛び越えて「だから命て、生きるて素晴らしい」という、生命の重さを「重さ」ではなく「素晴らしいもの」という地点へ到達できたのが今回のカミーユだと思う。コレはカミーユが20年かかって、いや富野監督が20年かかって成長したんだな、と思うし、20年かかって出した答えなのだと思う。この「だから」をやりたかったために、今回監督はZを新約してZにケリをつけたかったのだな、と。
しかしエマさんが倒れてカミーユにセリフを言うシーンはうるうるきたなぁ。エマさんも結局は軍人、まぁカミーユとファ以外は全て「軍人」なんだけど、エマさんは「女」を捨ててるワケ。自分は軍人である。戦場には男も女も関係ない。そう生きてきたワケ。そこへヘンケン艦長の想いを知ってその気持ちが揺らぐのよね。そのヘンケンの想いを知ってるからこその、あのレコアに対してのセリフなんだな。レコアも自分が利用されてるのは解ってるんだよね。解ってるけど、自分の「女」としての気持ちに正直にしたらあーなってしまう。そーいう男ばかりに魅かれてしまう。だから最後は「女」としての気持ちより、シロッコに利用されたコトに対してカミーユの方に付くと。女性としてはどっちの方が幸せなんだろね?ただ言えるコトは、TVの当時はレコアは裏切り女にしか映らなかったけど、今なら気持ちも分からなくはないなぁー。
エマさんはヘンケンが自分を守るために犠牲になって死んでいったのを知り、TV版のカミーユのよに抜け殻になりかけのすんでのトコを、カミーユに叱咤されて自分を取り戻す。そのお返しなんだよねぇ。あの時点で自分は死んでたはずなのに(人によって)生かされてるのは、自分にはまだ何かをしなければならない使命がある」という。まだ民間人のバランス感覚を持ち合わせていて、人が人を殺しあうコトをやめなければならない、というカミーユの意志にエマさんは未来を託す。人て他人によって生かされるんだよなぁ。
あとハマーンの存在てでかいね。シロッコは大したコトないんだよな実は。ハマーン率いるアクシズは自分らの自前の戦力では到底かなわないコトを知ってるから、今回の戦争をいいコトにエゥーゴについたりティターンズについたりして利用してのしあがろうとするワケだけども、今回はうまくいかなくてZZまでまた沈黙、という。ハマーンは人類(自分らジオン軍のみだけど)を引っ張っていく指導者が必要だ、その指導者としてふさわしいのがシャアだ、わたしが認めたんだから、という想いがある。そのベースにはたしかに恋心があるにしても、ハマーンを付き動かしてる原動力はシャアの存在だと言っていい。この戦場の中に必ずシャアがいるはずだ、と。で自分の恋心を正当化するために(とワタクシは解釈したが)、ミネバや部下たちに「シャアは我らにとって必要な存在である」となかば自分たちのヒーロー扱いのよに洗脳してる。だから見方によっては「ハマーンが一番あちいじゃねーか!」と(笑)コレ言えなくもない。ただ最終決戦でシャアは死んでしまったとハマーンはあきらめて、『ZZ』のジュドーに人類を引っ張って行く指導者としての希望を見出すんだけどね。でも今回の映画版のせいで、『ZZ』のカミーユは「なかったコト」になっちゃうんだけどな(笑)。