「華氏911」を観た。
あの〜まず訂正。9月の半分はバイト強化週間カナ、と思ってたんだけど、シフト見たらあんまいつもと変わらなかった(笑)。なのでこんな感じで書きこみ。デジカメは3週間ほど入院〜。全治3週間なり〜。
というわけで一日、映画の日(?)で¥1000だったので、おツボネさんが「ヴァン・ヘルシング面白いよ〜」と言ってたので観たかったけど4日からなので、何見ようか迷ってたトコロとなりでおばちゃんが「華氏911」と言ってたので、「スチームボーイ」と迷ったが「華氏911」に決めた。
観てると腹立たしくなる。憤りを感じる。誰に対して?
あの映画はあくまでマイケル・ムーアの視点で見て感じたコト、マイケル・ムーアがいろんな事柄を自分のフィルターを通して映像化している。だからアレそのまんまを受け入れて、自分の考えとするのはちょっと危険を感じる。でもあーいう視点もある、というのが1つ、自分の中にあればあの国の「ボス」に対しての見方も変わってくるとは思う。
監督はあのボスをオモシロ可笑しく滑稽に、コミカルに描いているが内心、怒り狂っていると思う。ハッキリ言って弾をぶち込めば簡単だ。だがソレをしない方法で粘っこくあばいていくコトに意義がある、と考えていると思う。オレはアンタを見ているぞ、という主張。
ワタクシもあの「息子」があの大国の「ボス」になるのは疑念を持っていた。コレは尻拭いなのでは、と。監督も「言わんこっちゃない」だろう。映画でも描かれてるが「息子」は親のコネやつながりを使い放題だ。やりたい放題なんだろう。そして「親」が無し得なかった「原油」。旨みがあるからだ。だから旨みの無い国には気がのらない。敵も全くの「敵」ではない。脚本に書かれてる「敵役」。多少の逸脱やハプニングはあるとはいえ、全ては台本通りだ。架空の敵をぶち上げといてあとはやりたい放題。へーたいたちは何のために戦っているのかワカラナイ。ただ命令に、国に背けない。全員、身元がわれている。管理。統制。外に対して、内に対して。常に厳戒体勢。シビリアンコントロール。ホンの一握りの人が民衆を思いのままに操作する。「悪人相」をしてない悪人なのでやっかいだ。自由のために、国民のために、と言っているのは全て「自分」に置きかえると分かりやすい。
ソコを監督は「目を覚ませ!」とアソコの国民に叫んでいる。あの映画を通して。首根っこを掴んで揺さぶられているのはアソコの「ボス」じゃない。漠然とした危機感だけはあるものの、結局はどうしようもないんだという諦感と、全てをお笑いにしてしまうシニシズムに浸りきっている、もしくはとくに日本人にはあまり理解できないであろう宗教感。神に祈ってばかりではダメだ、と。監督が言ったからソレで満足、終わりでは意味がない。ソコから続いていかなければ。
今のこの日本で生まれたコトは、やはり幸せなのカモしれない。あの国では貧しい人たちはへーたいさんにならなければ、家族が生きていくコトがままならない。「自分」を捧げなければならない。誰のため?あの人の富のため。この日本も他人事じゃなくなる可能性がある。なんてったってアソコのボスとうちのボスは「友達」だ。今、日本も二極化が進みつつある。誰かが「年収300万」だとか言ってる。フリーターばかりで「年収100万」とも言われている。友達?みんなも知ってる。この国もアソコに「操作」される。簡単に法律は強行採決だ。ただソコの一線は守るだろう、と信じている。この国は「敗けた」んだから。ただソレだけ危うい、というコトだ。少なくともワタクシにそーいう危機感が芽生えた、というコトだ。