言葉を『感覚的』に使うとは、、、
「みんな震えて電子レンジみたい」
先日シェルターにライブに行ったんですが、さながら満員電車状態の中、それでも0.2坪面積でみんなノッテたわけです。電子レンジの仕組みてご存知でしょーか?レンジに食材なんぞを入れると、食材にふくまれる水分がレンジの発する電子によって細か〜く震えて熱くなりあったかくなるんですな。
前置きはこのくらいにして、そんなトコから前述の文が出てきたわけですが、ワタクシが言いたいのは前述の文がすでに「感覚的だ」とかではありません。『震えて』に注目して下さい。普通はライブのノリを『震えて』などとは表現しません。ノッテる様を「揺れて」と表現するのが適切であろうと思います。がしかしそーなるとワタクシのイメージした『電子レンジ』に結びつかない。正しく言い表そうとするとココで5行分ぐらいの文章になると思います。それを日常会話でやると、まず「は?何言ってんの?」となります。長ったらしーし飛躍してるからです。「みんな揺れて電子レンジみたい」では意味が通じません。そこでこの『震えて』という言葉を持ってくるコトによって、なんとなくイメージができる=感覚的、かつ簡潔な文になるわけです。
こーいう具合に日本語として考えると使い方が正しくなくても、時としてより正確にイメージを伝えるコトができるコトもあるのです。詩とか抽象画などはこーいった考え方のカタマリのような気もしますね。.