勝手に再生される声について。
とくに停止して!とは言ってないのでいまだに店舗情報のメールが送られてくる。そのメールには一言メッセージが書いてあるのだけど、読んでてフト気がついたコトがある。
このワタクシのブログを見てくれてる方は、ワタクシの声というのはいったいどういう風に脳内で聞こえてるのか?
本とか漫画とかの架空の人物や、相手が誰か知らない会ったコトもない人のしゃべるコトを、人というのは勝手に頭の中でイメージした声を脳内で聞きながら、発しながら文字を目で追ってる。本とかこういったブログを「読む」というのはそういう行為だ。コレはワタクシだけではないと思うのだけど。いちいち口に出して音読はしない。黙読てヤツだ。でも何でその知りもしない相手の声を勝手に頭の中で捏造してしまうのだろうか?
たぶん脳が都合良く勝手に「この人物はこういう声であろう」と、その人物の声をモノマネしてる。書いてある「語り口」「セリフ」によってイメージが決まってしまってるようにも思える。けど「こんにちは」としか書いてなくても、なんとなく勝手に頭の中でその人であろう声を捏造してる。
このブログを読んでる人も、脳内で勝手に自分なりの「ワタクシ」の声をイメージしてるのだろう。けどソレが正しいかは実際にワタクシと会ってみないと分からないワケだ。
でも例えばワタクシがサイバラマンガを読んでいて、西原理恵子本人の声を知ってるにも関わらず、マンガを読んで脳内で発せられる声というのは本人の声とはちがう。あくまでワタクシが勝手に作り出した「サイバラ」の声なのだ。だから例え本人の声を知ってても脳内で発せられる声は置きかえられない。
ひょっとしたら、コレは順番なのかな?とも思う。サイバラ嬢の例で言うと、ワタクシはマンガを先に読み、本人の声を聞いたのはだいぶ経ってからである。そういう順番だと、たぶん「脳内で勝手に作り出した声」が本人を知った後でも定着してしまうのだろう。
サイバラ本人の声は知ってても、鴨ちゃんの声は聞いたコトがないから知らない。でも頭の中では勝手に「こんな声であろう」鴨ちゃんの声でセリフをしゃべってる。いずみさんのブログは、読んでもいずみさん本人の声が頭の中で再生されるが、内田樹さん本人の声は聞いたコトがないので、ブログや本を読んでも「こんな声であろう」声だ。そんな身近な人じゃなくても。もっと言えばむか〜しむかしの哲学者や作家などの声も同様だ。勝手に頭の中のソクラテスや夏目漱石がしゃべってる。声を聞いたコトもないのに。
まったく脳は都合がいい。