過去があるから今がある。石(意思)が積み重なってココにいる。
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へヴン/川上未映子

ヘヴン
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ご無沙汰しております。約1年2ヶ月ぶりのやぎ本です。お久しぶりのやぎのぢぇーむすです。
まったく本を読んでなかったわけでは無いのですが、書きたいと思うほどのものではなかったり、めんどくさかったり(笑)でこれだけ間が空いてしまったのですが、今回の『へヴン』はちょっと書いておきたいことがあったので、わたくしなりに思ったことを書きたいと思います。画像だと分かりにくいですが、淡いグレー地に白字で「ヘヴン」と、著者名が書いています。
実のところ、この『ヘヴン』は「読むほどではないよな〜」と初めに思ってたのですが、ある日エアポケットのように時間が空いてしまったので、読んでみようかと本屋で30分で読みました。ということは買っていないのですが(笑)。そして読後も、やはり「読まなくてもよかったよな〜」と初めに抱いた印象に変わりはありません。これから紹介なんですけどね(笑)。というのは初めの直感で「これはエヴァだろ」「エヴァンゲリオンだろ」とそう思ったのですが、読後もやはりこの作品の言いたいところもエヴァと同じだとわたくしは解釈しました。ただ結論はそうなのですけどその道程は違います(似たところはありますが)。
いじめっ子の二ノ宮とその仲間たちにいじめられるいじめられっ子の「僕」が物語の登場人物です。暴力に対抗する術として非暴力しか選べない考えられないという僕と、その状況を第三の方向へブレイクスルーするコジマという女の子の存在。そういう構図であり位置関係があるのですが、わたくしは「暴力に対抗するには結局「狂う」しかないのかなぁー」と思いました。
二ノ宮とその仲間たちのいじめに対して、抵抗してこれ以上事態が大きくなっても困る、やられたらやり返すというように暴力で返しては二ノ宮と同じになってしまう、と考える僕は二ノ宮のいじめに抵抗できず、甘んじて受け続けています。僕は他に打破する術を知らないのでなすがままです。
いじめっ子の心理としてはこの僕の行動は想定内です。あるいは多少の抵抗があったとしてもそれも想定内です。いずれにしても「こいつは刃向かわない」「刃向かったとしてもこんなもんだ」と決めつけています。おそらく二ノ宮は「自分の言うとおりにならないものは無い」という、そういう環境で育ってきたと考えられます。またいじめる側としては「抵抗をしないやつ」を得てしていじめる対象に選ぶものです。はっきり口にはしていませんが、これは理屈ではない動物的な嗅覚・勘によるものだと思われます。
しかし物語のラスト、コジマが巻きこまれ、その巻きこまれてしまったコジマを目の前にした僕は手に石を握ります。それを知ったコジマは二ノ宮の前であることをするのですが、これが二ノ宮たちにとって(僕も含むその場にいる全員にとって)まったく想定外のことで、二ノ宮たちは呆然とします。いじめる側=強者、いじめられる側=弱者という図式が逆転します。
人というのは正体不明のもの・予測不能な出来事に出会うとまず警戒します。その後「好奇心」か「恐怖」を抱きます。二ノ宮とその仲間たちはコジマの予測不能な行動に対処できず、恐怖を覚え呆然とし、仲間は逃げてしまったのだと思われます。
わたくしは「人の強さ」というのは、人に限らずですが生き物の強さというのは、単純な力の強さというよりも、こういった正体不明・予測不能な出来事に出くわした時にいかに対処できるか?そういった能力を持ち合わせてる・秀でた者が生き物の強さだと思うのです。
二ノ宮とその仲間達はコジマの取った行動が自分の想定外なため、そこで思考が停止しましたが、これは動物の「弱肉強食」の世界で言えば「死」を意味します。思考が停止し呆然としてる(恐怖で動けないでいる)間に襲われてしまいます。
先ほども書きましたがコジマは女の子です。わたくしは読みながら「女性は強いなぁ〜」と思いましたが、しかし男女という性別抜きにしてもコジマの方が他の誰よりも「生き物としての生きる術」を持ち合わせていた、ということになります。よってこの中では他の誰よりもコジマが生き残る確率が高いのです。
「あいつはキレると何をするか分からない」。こういった恐怖の念をコジマが二ノ宮に植え付けたので、よりコジマの正体不明・予測不能度が増すことになります。いじめっ子である二ノ宮の「想定の範囲」外の存在になるのです。
コジマからしてみれば、恥や外見よりももっと大事な、守るべきものを守るための行動です。それは自分の絶対領域とでも言えるような、自分がこれからも生きていくための居場所の確保です。自分が自分であるために。僕とは守るものが違ったということになります。そこに最後まで気づけなかった僕に対するコジマの失望の念が僕の内に重りのように沈殿します。
作品の中で、二ノ宮の仲間である百瀬という男の子が、中学生とは思えないほど達観したセリフを言います。一方で理屈ではない、動物的な感覚を匂わせる言動をしながら、ここだけ妙にごたくを並べて人間的です(笑)。あまりに理路整然としていて主人公である僕は、百瀬ほど自分の主張に強さがないのでやや押され気味です。百瀬の主張はたしかに物事の真理の一面を正確に捉えているものかもしれません。物事に意味付けるのは人です。よって物事の意味は人それぞれです。この世界は人によってヘヴンにもヘルにもなります。けどわたくしはこの百瀬に人として重大な、致命的でもある欠落をその主張に見出します。
理路整然として、自分の主義主張・ポリシーのようなものがしっかりしてるというのは、一見芯がぶれない強さを見受けますが、それは逆に言えば他人の意見を取り入れない頑固さ・他人との関係の断絶に通ずるので、先ほどの正体不明・予測不能な事態、想定「外」の出来事に出会った時の意外な脆さ、につながります。硬いものが頑丈、ではありません。ダイヤモンドも砕けるのです。
一方、僕は百瀬ほど自分の主義主張が論理的ではないので、自分の弱さを自覚しています。そういう人は他人の考えも取り入れようとします。他人の意見に聞く耳を持っているので、物事に柔軟性も持ち合わせているのです。
人というのは1人では生きていけない、ということを知っている(無自覚だとしても)人間は「人の弱さ」を分かっているので、できれば他人とは友好的に、仲間を増やそう、人とつながろうとします。
一方、二ノ宮や百瀬のように1人でも生きていける、他人を信用していないという人間は、その必要性を感じないので他人を分かろうとしません。それは他人との関係の断絶です。他人との関係の断絶というのは、人が生きていく上で致命的な欠陥であり重大な欠落と言えるでしょう。
人は複数の人間、社会で生きていかなければならないのだから、分かり合おうという気持ちがなければそれは他人との断絶なので、他人を殺しても何とも思わなくなります。逆に言えば他人が自分を殺しに来る、そんな世界です。それは戦争の戦場の状況と同じです。争いは他人を分かろうとする気持ちを持つことからしか防げないと思います。
暴力を振るう人というのは、どんな理由であれ心が弱いのです。自分の弱さに耐えられない、認めることができない、受け入れられないから暴力を振るうのだと思います。しかし人1人というのは弱い生き物です。人はその弱さを認めて生きていくしかありません。そしてその弱さを認め受け入れることのできる人が強いのです。
コジマのとった行動は、一時しのぎだと思います。一時的にはそれでいいでしょう。たぶん彼らのその後の学生生活ではいじめに会うこともないと思います。わたくしはそれを否定するわけではありません。その場を「しのげる」というのは生存上必要な能力ですから。その場その場の予測外をしのぐことが重要です。
しかし例えあのまま状況が変わらなかったとしても、彼らが社会に出る頃には、二ノ宮的な考え方の人は社会では生きて行けません。いずれにしても二ノ宮たちは考えを改めなければ、たくさんの人間がいる社会では孤立してしまいます。この時に誰が本当の強者で誰が本当の弱者だったのかが判明することになります。