いやぁ〜コレなかなかブっとんでますよね♪かなりな
ロケンロー風味というか、「ああ、本でもこんなにロックンロールができるんだな」という読後感。いかにも「ジスイズアメ〜リカ!」という。洋書を訳すとこんなノリ、という独特な空気がカモし出る。そんな空気がミッシリ封入された本でございます。
飲食店の厨房で少しでも働いたコトのある人なら「そーだよな〜」「そうそうそうそうそう!」など、まぁこんなハレンチな阿鼻叫喚状態に100%は共感しないまでも(できるワケがない:笑)、1%ぐらいなら共有できるのでは、想像できうるのではないかという「現場ならでは」の瑣末ゴトが書かれている。
飲食店というのは繁盛すればするほど、店内の厨房はてんてこまいで「戦場」である。そんな戦場で毎日悪戦苦闘しなければならない。だからパートナーやスタッフは「戦友」である。憎らしいほど悩ましい。憎み切れないろくでなし。作者は飲食の世界の酸いも甘いも知り尽くして、なおソコを今だに離れられないでいる。ソコが自分が自分でいられる場なのであろう。ソコにいるから「生きてる」のであり、ソコにいなければ「死んだ」も同然なのである。
自分が自分、というのは自分自身も知らない自分が分かる、という意味もある。良い自分も悪い自分も思い知らされる。酸いも甘いも。自分が知らない自分まで引っ張り出してくれる、ソコまで能力を総動員してでしか対応できない。リミッターをカットして対応する状況、というのが作者を飲食のトリコにしてる要因なのカナ、、と思う。
加えて、料理は記憶である。人々が食物を摂取するコトによって、様々な記憶を呼び起こすスイッチが入る。その時、時が止まる。そーいった料理、またはコレからそーいう存在になるであろう料理、というのがホンモノだ、とわたくしは思う。