YOSHIKI氏とプロレスラー。
今朝TVにXJAPANのYOSHIKI氏が出てた。何かの会見だったのか、首の手術したばかりで座ると首が痛むらしく、1時間立って会見したという内容。ワタクシはコレを見て「YOSHIKIてプロレスラーだな」と思ってしまった。
彼は彼のドラムプレイをやりたいがために、首に2度もメスを入れた。首にメスをいれるというのはリスクが伴う行為だ。ソレにも関わらず、手術をしてまで彼はXJAPANをできれば続けたいというコトなんだろう。
プロレスのドコが面白いの?なんであんな痛いモノを観るの?やりたいと思うの?という素朴な、ソレでいて昔からある疑問質問を目にしたり耳にしたりするけど、YOSHIKI氏のドラムプレイを例にすれば、わりとそのへんが分かりやすくなるのではないか、と。
彼のドラムプレイは超人的で唯一無二だ。ある種、破滅的にも思える。ワタクシなんかも「なんであんだけ激しくドラムやらなきゃならないのだろうか?」と素朴に思うワケだ。観ててもどこか痛々しい。でも本人はきっとやらざるをえない。もちろん彼のプレイを求めるお客もいるだろうし、その期待にできるだけ応えたいという彼自身の気持ちもあるだろう。でもその他人のためというかプレイヤーとお客の関係という以上に、彼自身がソレ以外のプレイスタイルでは納得行かない、やりたいからやってる、という「自分のため」という気持ちのほうがおそらく強いのだろうと思う。
全身全霊を傾け、命を燃やしてドラムを叩き続ける。ソレがたとえ自分の身を削る行為だとしても、ソレが「自分」というモノの全てであり表現なワケだ。破滅的だとわかっていても彼がやりたいというなら応援する。彼自身の生命の輝きを見たい。ソレがファンというモノだ。
プロレスもまったくいっしょだ。危ない、危険だと大きな出来事があるたびに言われる。でもプロレスラーも、お客の見たいモノを見せるというのもありながら、やはり自分のスタイルで自分というモノを表現する。自分の見せたいスタイル以外、というのは結局ソレでは不完全燃焼でなんだかモヤモヤとすっきりしないような、やっぱり自分じゃないようなキモチの悪さが残るのだと思う。ソレだったら別に自分がやらなくたっていいワケだ。誰か他の人がやればいい。自分が「コレだ!」というものをやりたいからやるワケで、ソレが自分が納得ができキモチがいいからやるワケで。じゃなかったらとても自分の身を削るというリスクを背負ってまで、命を燃やすというのはムリなんじゃないだろうか。
まとめれば、自分が納得いくかいかないかだし、キモチいいかよくないか。ソレに尽きるんじゃないだろうか。そういうパフォーマンスをしたいがために、プロレスラーは日々練習に励んで、なるべくケガをしないようカラダを鍛えてる。ソレでも、たとえ万全で望んだとしてもケガやアクシデントは起きてしまう。YOSHIKI氏の言葉「ヘッドバンキングって(体に)よくない」をプロレスに当てはめるなら「受け身って(体に)よくない」だろう。体にいいわきゃないよそんなもん(笑)