あの日から2年。
2年目の「3・11」が、ワタクシのまわりではとりあえず何事もなく、無事過ぎようとしている。
「忘れない」と簡単に言うけど、耳にするけど、被災された方々が「忘れないで」と口にするのは、ソレはとても悲痛な叫びにも似た言葉であって。だって被災された方々はできれば一刻も早く忘れ去りたい、はずなのだから。「3.11」が来る度に、あの時受けた傷がうずく。その痛みに耐えながら、ソレでも「忘れないで」と口にする。生きてるから、痛む。
無常にも時間は流れる。時間は我々生きる者に平等に流れる。時間=生、とも言える。あの日を同時刻に経験した我々は、もはやあの日「以前」には戻るコトはできない。
生死を分けたあの日、生きると決めた我々には新たに生じた使命がある。ソレはあの日のコトを「伝えていく・残していく」コトだ。ソレがいつかの未来のためになる。そう信じるコトが、今を生きる我々の支えになる。
痛みと共に、生きていきましょう。「忘れない」とは、そういうコトです。