『バカ姉弟』に学ぶ。
やっぱ今週でしばらく休載だってよぉぉーーて『バカ姉弟』の話です。むぅ〜。前に休んで復活したのがたしか間2・3ヶ月だったという記憶なので、今回もそのくらいかね。
今回の話ちゅうのは、まぁ時々『バカ姉弟』は教訓めいた話の時もあるのでそういう感じなんだけど。アゴ兄弟の兄ちゃん(略:アゴ兄)の方が、自分の頭とか顔が平坦でおねいちゃんのおでこや突き出た下唇という立体的なつくりをうらやましがる。でもおねいちゃんは「こんなの」と言って何とか届く自分の手で自分の頭をぴしぴし叩くという反応。その態度を見て「自分が持ってるからって大事にしないんだな、、」とちょっと涙ぐむアゴ兄。そんなアゴ兄を見て立ち尽くすおねいちゃん。ソレからは前回出てきたおじいちゃんに自分のコトをほめられても、自分の頭を叩かずなでなでするおねいちゃん。
アゴ兄は今回でお金持ちのボンボンだというコトが判明した。お金には何不自由しないであろう境遇。なのに自分には無い「立体的なつくり」。お金じゃ手に入れられないモノ。おねいちゃんのおでこや下唇がうらやましい。自分は頭も顔もぺったんこ。おねいちゃんは自分のコトをバカにしてるんじゃないのか?お金持ちの悲哀と孤独。「こんなの〜」と自傷行為をしたおねいちゃんはアゴ兄の気持ちにハっと気付かされる。
しかしおねいちゃんだって1つ間違えれば自分の顔形をバカにされても不思議ではない。ただおねいちゃんの場合はなぜか神仏のように尊ばれるという、彼女が特殊なのだ。そしておねいちゃんはこの自分のおでこがあるからみんなに可愛がられてるコトも自覚してるし、そんなまわりの溺愛ぶりを正直うざいとも思ってるようだ。だから「甘やかすな」と時に言う。おねいちゃんの場合は自分のおでこをメンドくさい存在と思ってるフシがある。でもアゴ兄から見ればソレはうらやましい存在だ。
コレの言わんとするトコロは「自分のおでこは自分自身が良いと思ってようが悪いと思ってようが、他人(アゴ兄)には無いモノなのだから、ソレは大事にしようよ」というコトである。自分ではコンプレックス・、弱点に思ってる部分でも他人から見ればその部分がうらやましい場合もありうる(もちろんコレは逆も言えるワケだが)。おねいちゃんの場合は巣鴨で神仏化。環境によっても自分が思ってる長所短所に対しての他人の見方も変わってくる。
話はおねいちゃんが自分のおでこをなでなでして「また1つ成長されましたな」と唐突に出てきたお坊さんが言って終わるのだけど、コレはアゴ兄にも当てはまるコトである。おねいちゃんが「麗しいおでこ」の持ち主なら、アゴ兄、あんたには「麗しいアゴ」があるじゃないか!というコトも言える。ホント言えば最後のコマに「頭をなでてるおねいちゃんを見て笑いながらアゴ兄が自分の頭をなでてる」という描写があるとなおのコト良いのだけど。
究極的にはこの今回の話は「他の誰でもない自分を大事にしなさい」という話なのである。